佐竹氏系図

佐竹氏略図  

松平(越前)直政   真田幸村   蜂須賀重喜(阿波徳島藩第10代藩主) 
 
  宇都宮広綱   氏家広行   最上義守   松平(長沢)忠輝  

✤佐竹義宣:通称次郎。
  天正14(1586)年に家督を相続し、同18年の小田原の陣から秀吉に従い、
  本領を安堵され常陸水戸54万石を領した。
  慶長5(1600)年、関ケ原の戦いには西軍に属し、出羽久保田20万石余に減転封。
  慶宣は兵法家として知られる反面、茶道や文芸にも通じていた。
  以後変わることなく、12代義尭のとき久保田藩を秋田藩と改称し、廃藩置県。

✤佐竹義長:出羽久保田藩佐竹義隆の四男。
  元禄14(1701)年に出羽岩崎2万石を分与され別家となった。
  以後変わることなく、9代義理のとき廃藩置県。

✤佐竹義郁:通称四郎三郎、式部。
  五代将軍綱吉に仕え小姓を勤めた。
  元禄14(1701)年に本家出羽久保田藩佐竹義処から蔵米1万石を分与され
  別家となった。特定の領地はない。
  享保17(1732)年、2代義堅は本家出羽久保田藩佐竹義峯の養子となり、
  所領は本家に返還された。

相馬義胤:通称孫次郎。
  天正18(1590)年の小田原の役に参加し秀吉から本領を安堵された。
  慶長5(1600)年、関ケ原の戦いには中立的立場をとったため所領を没収された。
  その後、伊達政宗のとりなしにより旧領を安堵され陸奥小高で6万石を領した。
  慶長16年に居所を中村に移転し、以後変わることなく、14代誠胤のとき廃藩置県。

岩城貞隆:佐竹義重の三男で、磐城平城主岩城常隆の養子。
  天正18(1590)年に家督を相続。
  慶長5(1600)年、関ケ原の戦いで所領を没収された。
  その後、元和2(1616)年信濃川島で新知1万石が与えられた。
  元和9年、子吉隆のときに出羽亀田2万石に加増転封となり定着。
  14代隆彰のとき廃藩置県。

伊達政宗陸奥仙台62万石;2代藩主は次男の忠宗;14代で廃藩置県。

✤伊達秀宗:慶長19(1614)年、伊予宇和島10万石与えられる;
  以後変わることなく、9代で廃藩置県。

✤伊達宗勝:万治3(1660)年、4代藩主綱村より奥陸一関3万石を分与され別家となる;
  寛文11(1671)年、家中騒動で改易。

✤伊達宗純:明暦3(1657)年、伊予吉田3万石を分与され別家となる;9代で廃藩置県。

✤五郎八姫:政宗の長女で、家康の6男松平忠輝の正室。

田村宗良:陸奥仙台藩伊達忠宗の三男。
  はじめ家臣鈴木元信の養子となったが、承応元年(1652)に3万石を分与され
  外戚の田村家(坂上田村麻呂を祖とする)を相続した。
  万治3(1660)年、正式に別家となり陸奥岩沼に居所を置いた。
  同時に甥綱村の後見となり、伊達騒動に連座して閉門処分を受けている。
  天和2(1682)年に陸奥一関2.7万石に入封し定着、12代崇顕のとき廃藩置県。
  

          日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
Fcカウンター
QRコード
QR