大江姓毛利氏系図

大江姓毛利氏略図 

✤毛利輝元:従三位中納言兼右馬頭・右衛門督。
  永禄6(1563)年に家督を相続した。その後、織田信長と戦ったが、のち秀吉に属し
  安芸広島ほか九国112万石を安堵された。
  慶長3(1598)年には五大老の一人になり秀吉没後の政権の運営監督に当たった。
  同5年の関ケ原の戦いには終始大坂にあり秀頼を守護した。
  戦後、周防・長門(長州藩/萩藩)36.9万石に減封となった。
  以後変わることなく、文久3(1863)年に居所を周防山口に移して、
  15代元徳のとき廃藩置県。

✤毛利就隆:輝元の次男、通称三次郎、従五位下日向守。
  寛永11(1634)年に周防下松4.5万石を分与され別家となった。
  のち居所を徳山に移した。
  享保元年(1716)に苛政により一時所領を本家に還付され、同4年に再度分与された。
  以後変わることなく、9代元蕃のとき廃藩置県。

✤毛利秀元:正三位参議兼甲斐守・右京大夫。
  天正13(1585)年、輝元に実子が生まれた時は別家する約束で輝元の養嗣子となり、
  秀吉の寵愛を受けた。
  文禄4(1595)年に周防山口25万石を分与され別家となった。
  慶長5(1600)年の関ケ原の戦いの後、長門豊浦(長府藩)5万石に減転封された。
  享保3(1718)年、五代元矩のとき継嗣なく断絶した。

✤毛利元知:秀元の三男、通称刑部、従五位下刑部少輔。
  承応2(1653)年に長門長府1万石を分与され別家となった。
  その後、居所を清末に移した。
  享保3(1718)年、長門府中に入封し定着。
  14代元敏のとき豊浦藩と改称し廃藩置県。

✤毛利政苗:匡広の七男、従五位下刑部少輔・讃岐守。
  享保14(1729)年、清末で新田1万石を分与され別家となった。
  以後変わることなく、6代元純のとき廃藩置県。

✤吉川広家:従四位下民部少輔、侍従。
  関ヶ原の合戦では毛利家に従い西軍についたが家康に通じ、戦後毛利氏の保持に
  尽力した。しかし宗家の減封で、その封内周防国岩国を領する事になり、
  公式には大名ではなく、毛利家家臣となった。

✤小早川秀秋:豊臣秀吉の正室北政所の兄・木下家定の5男。
  幼少から秀吉の養子として育てられる、天正19(1591)年に小早川隆景の養子となった。
  慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦では西軍の主力として松尾山に陣したが、
  東軍に内応。その功で戦後、宇喜田秀家の旧領備前岡山51万石に封じられた。
  慶長7(1602)年、26歳で没し無嗣断絶となった。



               日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
Fcカウンター
QRコード
QR