豊臣家&家臣団(下)

宇喜田家
宇喜田 家 宇喜多直家:播磨,備前,美作の守護赤松義村の守護代浦上村宗の家臣;
宇喜多秀家:幼少の時から豊臣秀吉に養われ,秀吉の養女(前田利家の娘)を妻に迎えた;
✤秀吉の下で九州の役,朝鮮の役などで活躍し,五大老に列した;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いで西軍の軍師となったため領地は没収され薩摩へ落ち
  延びたいたが,島津家久や夫人の実家の加賀前田利長の歎願で,長男秀勝と共に
  慶長11(1606)年、伊豆八条島へ流された;
✤明暦元年(1655)年配所で没した;

竹中家:清和源氏の末流;
竹中家 竹竹中重治:通称半兵衛,黒田孝高(官兵衛)と共に戦国時代を代表する軍師;
✤天正7(1579)年4月,播磨三木城包囲中に病に倒れ,6/13日死去,享年36歳;
✤病名は肺炎或肺結核;
竹中重門:関ヶ原の戦いでは幼馴染の黒田長政軍に合流して最激戦地で奮戦;
✤慶長5年9/19日,伊吹山中で小西行長を捕らえる功を挙げ家康から感状を得る;
✤竹中陣屋;別名,岩手城;岩手陣屋;不破郡岩手6000石(現:岐阜県垂井町;
  伊吹山付近;関ヶ原古戦場の近く);
✤旗本交代寄合として,明治元年(1868)まで存続する;

小出家:藤原南家二階堂流;
小出家 小小出秀政:天正13(1585)年,和泉岸和田3万石を領する;
✤慶長3(1598)年,秀吉より秀頼の補佐を命じられる;

藤堂家
藤堂家 
藤堂高虎:豊臣秀長の筆頭家老;
✤浅井氏に仕え,姉川合戦後,浅井氏を去り秀吉の長浜時代に350石で召し抱えられる;
✤天正5(1575)年,自分を正当に評価したくれる秀長に出会い,ついに筆頭家老になる;
✤文禄3(1595)年,秀長死後,高野山に登ったがその武功を惜しんだ秀吉に呼び戻され,
  伊予板島7万石を与えられた;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原では東軍に属し,戦後伊予半国を与えられ20万石を領して
  今治城主となる;
✤慶長13(1608)年,伊勢・伊賀22.09万石に;
✤元和3(1617)年,加増され伊勢津32.4(32.3とも)万石を領した(西の大関);

山内家:藤原秀郷流の末流;
山内家 
山内盛豊:天正13(1585)年,秀次の付き家臣となり,近江長浜2万石を領する;
✤天正18(1590)年,小田原征伐後,秀次が尾張清洲城に移されると,遠江掛川5万石の
  城主となる;
✤文禄4(1595)年,秀次の失脚には連座しなかった;
山内一豊:関ヶ原では東軍に属し,掛川城を家康に明け渡すと発言し家康を喜ばせた;
✤戦後,土佐一国20万石余を与えられる;
✤高知城を築いて居城とし,16代で廃藩置県;

黒田家:宇多源氏佐々木氏の末流;
黒田家 
黒田孝高:官兵衛,如水;竹中半兵衛重治と共に戦国時代を代表する軍師;
✤播磨の名族小寺氏の被官で,一時は小寺氏を称した;
✤天正5(1580)年、播磨へ進駐してきた秀吉の中国経略の案内者となった;
黒田長政:筑前福岡52.3万石;12代で廃藩置県;
黒田長清:筑前直方5万石;享保5(1720)年,無嗣断絶;遺領は本家に返上;

青木家
青木家 
青木一重:大坂七手組頭の一人;
✤今川氏 → 徳川氏 → 秀吉 → 秀頼 → 徳川氏;
✤慶長19(1614)年,講和の際,秀頼の使節として家康に会見,そのまま留まり摂津麻田
 1万石の本領を安堵される;
✤以後,変わることなく,14代で廃藩置県;

亀井家
亀井家 
亀井茲矩:尼子氏の臣で山中鹿助の家臣;
✤尼子氏滅亡後,秀吉に仕え,のち因幡鹿野城主1.3万石となった;
✤天正9(1581)年,織田信長から出雲の宛行を約束されたが,本能寺の変後,秀吉に
  会い,出雲に替えて琉球国の拝領を願った;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いでは東軍に属し,戦後,3.8万石に加増;
✤政矩の時,石見津和野城に移封された;

新庄家:藤原秀郷流で,ムカデ退治伝説で有名な俵藤太秀郷の末裔;
新庄家 
新庄直頼:秀吉の馬廻を勤め,文禄4(1595)年には攝津高槻3万石を領していた;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いで西軍に属し失領;
✤慶長9(1604)年,許され常陸麻生3万石余を領した;
✤延宝4(1676)年,直時に名跡の相続が許され常陸麻生1万石になった;
✤10代で廃藩置県;

仙石家:美濃の守護大名土岐氏(清和源氏頼光流)の一族;
仙石家 
仙石秀久:天正11(1583)年,淡路洲本5万石を領したが、落ち度があり改易;
✤天正18(1590)年,小田原の陣に徳川家康の口添えで従軍し,その活躍で赦免され,
  信濃小諸5万石を領する;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いでは徳川秀忠の旗下で信濃上田城攻めに参加;
✤宝永3(1706)年,但馬出石3万石に入封定着;
✤11代で廃藩置県;

谷 家:宇多源氏佐々木流;
谷 家 
谷 衛友:天正6(1578)年播磨三木城攻めに16歳で従軍し,父の仇を討った;
✤文禄3(1594)年,丹波山家1.6万石を領する;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いでは西軍に属したが,途中で細川幽斎に内応し,
  戦後幽斎のとりなしで本領を安堵される;
✤嫡男の衛成が父に先たって没したので,家督は弟の衛政が継いだ;
✤13代で廃藩置県;

蜂須賀家
蜂須賀家 
蜂須賀至鎮:慶長5(1600)年,家督を相続し阿波徳島17万石余を領した;
✤関ヶ原では東軍に属した(父の蜂須賀家政は西軍に属したが出陣しなかった);
✤元和元年(1615)に淡路国を加増され25.7万石を領した;
✤14代で廃藩置県;

堀田家:紀氏の流;
堀田家 
堀田盛重:秀吉の馬廻り衆となって1万石を領した;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原合戦の直前,伏見城に家康を訪ね,石田三成らの動向を
  密告したが,開戦すると西軍に属した;
✤戦後は秀頼に仕え,大坂の陣で自害した;
堀田正盛:春日局の縁により三代将軍家光に近侍し,小姓組番頭,若年寄を歴任;
✤寛永10(1633)年には老中となり幕政に参与した;
✤この間700石から寛永19年には下総佐倉11万石の異例の昇進をとげた;
✤慶安4年,家光死去にさいし殉死した;
堀田正俊:外祖母春日局の養子となる;
✤4代将軍家綱に近侍し,小姓、奏者番、若年寄などを歴任;
✤延宝7(1679)年には老中に進んだ;
✤延宝8(1680)年,家綱の継嗣問題をめぐり,大老酒井忠清と対立して綱吉就任
  成功させた;その功により天和元年(1681)に大老となり幕政を主導;
✤この間加増を重ね,天和2年には下総古河13万石を領した;
✤貞享元年(1684),従兄弟稲葉正休に城中で殺害された;
✤子孫は転封を重ね延享3(1746)年に下総佐倉11万石に入封定着;
✤10代正倫の時に廃藩置県;



日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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