賤が岳の七本槍

福島正則:元・平氏 → 藤原氏;
福島正則  
福島正信:尾張国海部郡二寺村にすみ,妻は秀吉の伯母であるとしている;
福島正則:安芸,備後49万8千石;
✤元和5(1619)年,武家諸法度の違反(城郭の無断修復)で改易され,越後魚沼にて
  2.5万石,信濃川中にて2万石,合わせて4.5万石に減封される;
✤元和6(1620)年,嫡男の忠勝が死去;
  正則は悲しみのあまり越後国魚沼郡2.5万石を幕府に返上し,川中島の高井野邑(小布
  施町)に蟄居した;
✤寛永元年(1624) 7月,64歳で死去;
  その遺骸はなぜか検死以前に荼毘に付された,切腹したためとの説もある;
福島正利:寛永元(1624)年,召されて3000石を賜ったが,嗣子なく家は断絶;
福島正勝:天和元年(1681-綱吉)召しだされ,翌年2000石を与えられ,のち小姓番頭と
       して仕え,以後,福島氏は2000石の旗本となる;

加藤清正:藤原北家道長流の末裔;
加藤清正 
加藤清正:肥後51.9万石+豊後2万石;
✤母:秀吉の生母の大政所の従姉妹(あるいは遠縁の親戚);
✤慶長16(1611)年3月28日,二条城における家康と豊臣秀頼の対面を無事実現しで,
  5月下旬に帰国の途についたが,6/24日病死,享年51歳;脳出血/梅毒?
加藤忠広:寛永9(1632)年5月,(2代将軍秀忠:同年1月に没)忠長を将軍に推戴する
       という企みがあり,その首謀者が忠広ということで改易される;
✤土井利勝が仕掛けたか?
✤幕府のこうした取り潰し政策に対処できる家臣が,加藤家にはいなたった;

加藤嘉明:藤原氏;
加藤嘉明 加加藤嘉明:慶長5(1600)年,伊予松山20万石安堵される;
✤寛永4(1627)年,陸奥会津40万石に加増転封;
✤寛永20(1643)年,2代明成の時,家中騒動により改易される;
加藤明友:寛永20(1643)年,石見吉永1万石;
✤天和2(1682)年,近江水口2万石;12代で廃藩置県;

糟屋武則:藤原北家良方流の末;
糟屋武則 
糟屋武則:播磨加古川1.2万石;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いで,西軍に属し伏見城を攻撃;戦後所領没収;
✤慶長7(1602)年,小禄で幕府に取立られる;
糟屋安重:徳川家康に仕え,500石の旗本となった;

平野長泰:桓武平氏北条氏流;
平野長泰 
平野長泰:慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いでは東軍に属したがほとんど活躍しなかった;
✤以後,家康,秀忠のお伽衆となった;
平野長裕:大和田原本1万石;
✤安政元年(1854)に家督を相続し,大和田原本5000石を知行して交替寄合となった;
✤明治元年(1868)に高直しにより諸侯に列し,廃藩置県を迎えた;

片桐且元:清和源氏満快流の末裔;
片桐且元 
片桐且元:秀頼の補佐を勤め,摂津茨木3万石を領した;
✤慶長19(1614)年、方広寺鐘名問題を契機に大阪を退去した;
片桐貞就:元禄7(1694)年,17歳で死去無嗣断絶;
片桐貞隆:慶長19(1614)年,大阪を退去;
✤その後,加増され本領大和小泉1.6万石余を安堵された;
✤以後変わることなく,11代で廃藩置県を迎えた;
片桐貞昌:(石見守)石州流の祖,四代将軍家綱の茶道師範

脇坂安治:藤原氏の末流;
脇坂安治 
脇坂安明:元・浅井長政の家臣;
脇坂安治:慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いでは,初めは西軍に属して松尾山麓に陣した;
✤小早川秀秋の寝返りに呼応して,西軍大谷隊に攻めかかった;
✤戦後所領安堵;
✤慶長14(1609)年,伊予大洲5.3万石;
✤寛文12(1672)年,播磨竜野5.1万石;12代で廃藩置県;
脇坂安信:家康に仕え,美濃内で1万石を領する;
✤寛永9(1632)年,継嗣をめぐる争いから改易された;



日立市十王町漢方整体院
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愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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