織田家&家臣団(下)

丹羽 氏:桓武平氏
丹羽氏 
丹羽長秀(万千代):桓武平氏、武蔵児玉党流;
✤元・斯波義統の家臣;天文19(1550)年から信長に仕える;
✤安土城の普請;越前,若狭,加賀半国;
✤柴田勝家と羽柴秀吉との対決では秀吉を支持し,秀吉の天下統一に大いに貢献;
✤天正13(1587)年4月に51歳で没したが,柴田の亡霊の祟りという噂が流れた;
丹羽長重:長男,天正13年,家督相続;
✤文禄4(1595)年,加賀小松12万石,小松宰相;
✤慶長5(1600)年,犬猿の仲の前田と戦い,所領没収される;
✤慶長8(1603)年,異心無きを示し,常陸古渡1万石;
✤元和8(1622)年,陸奥棚倉5万石;寛永4(1627)年,陸奥白川10万石;
✤寛永20(1643)年,陸奥二本松10万石に入封定着;
丹羽長国:明治元年,奥羽越列藩同盟に参加し,所領没収される;
丹羽長裕:特旨をもって家名相続を許され陸奥二本松5万石;廃藩置県;

前田利家(犬千代):織田信長の小姓頭;
前田氏 

細川 氏

細川氏 
細川藤孝
✤幕府奉公衆三淵晴員の子で,細川氏一族の元常の養子となった;
✤12代将軍義晴の落胤ともいわれる;事実とすれば義輝,覚慶の兄弟となる;
細川忠興
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いの功により豊前中津(のち小倉)39.5万石に加増転封;
✤千利休の高弟七哲の一人;其の外,和歌,絵画,有職故実にと通じてる;
✤寛永9(1632)年5月、加藤忠正が改易後,肥後熊本54万石に入封定着;
✤13代で廃藩置県;

筒井 氏
筒井氏 
筒井順慶
✤藤原氏支流で興福寺官符衆徒の家系;大和で松永久秀と死闘を繰り広げた;
✤天正3(1575)年には織田信長の娘か妹を室に迎えて一門に連なった;
✤天正10(1582)年,本能寺の変後,日和見を秀吉から譴責されたが不問に付された;
✤36歳で病死;

佐々 氏:佐々木盛綱の孫氏綱が上総佐々荘を領し,佐々氏を称した;
佐々氏 
佐々成政
✤前田利家,不破光治と共に【府中三人衆】と呼ばれ,勝家の目付として府中城に在城;
✤天正9(1581)年,越中一国を拝領する;
✤本能寺の変後,秀吉に仕え,九州平定後,肥後一国に封じられたが失政を理由に切腹;
✤肥後は加藤清正,小西行長に与えられた;

九鬼 氏:藤原鎌足の流れを汲み,紀州熊野八庄司の一人;
九鬼家 
九鬼守隆
✤慶長2(1597)年,家督を相続し,志摩鳥羽3万石余を領した;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の功により,5.5万石に加増される;
✤寛永10(1633)年,摂津三田3.6万石に入封定着;14代で廃藩置県;

蒲生 氏:藤原秀郷の末裔;
蒲生氏 
蒲生氏郷
✤安土城の留守居を任されるほど信頼された;
✤本能寺の変直後,安土城にいた織田家一族を父と共に救出し,一躍名を高めた;
蒲生秀行
✤文禄4(1595)年,家督を相続;陸奥会津91万石余;のち60万石;
蒲生忠郷
✤寛永4(1627)年,正月4日,20歳で没;
蒲生忠治
✤寛永4(1627)年,忠郷の死去より本家を相続したし,伊予松山20万石転封;
✤寛永12(1635)年7月,無嗣断絶;

服部 氏
服部氏 
服部一忠(小平太):
✤永禄3(1560)年,桶狭間の戦いでは今川義元に一番槍をつける戦功をあげた;
 (今川義元の反撃を受け膝を折られたので首級は毛利新助が取った);
✤天正10(1582)年,本能寺の変後,秀吉に仕え,黄衣衆の一員となる;
✤小牧・長久手の合戦,小田原の合戦,朝鮮役などに従軍し,大名にまで出世した;
✤文禄4(1595)年,秀次の謀反に加担した嫌疑を受けて切腹した;
小藤太
✤本能寺の変で,二条御所で信忠と共に討死した;

毛利 氏
毛利氏 
毛利新助
✤永禄3(1560)年,桶狭間の戦いで今川義元の首を取り上げた;
✤天正10(1582)年,本能寺の変の際,信忠を守って,奮戦の末,壮烈な最期を遂げた;

梁田 氏
梁田 氏 
梁田政綱
✤蜂須賀正勝(小六)の親友;
✤永禄3(1560)年,桶狭間の戦いで,今川軍の行軍路周辺の情報収集を行い作戦を
  立案し成功したため信長が義元を討った時に一番手柄として賞された;

滝川 氏:近江甲賀郡の大原氏;
滝川氏 
滝川一益
✤天正10(1580)年3月11日,織田軍の先陣として数千人を率して天目山の田野で
  武田勝頼と戦って,勝頼は自殺した;
✤天正10(1580)年6月27日,織田家の重臣会議(清州会議)で柴田勝家と共に
  3男信孝を跡目にしようとした;
✤戝が岳の戦い後,秀吉の命を受けた次男織田信雄に伊勢を攻略され追放される;
滝川雄利
✤天正18(1590)年,伊勢神戸2万石;
✤慶長5(1600)年,失領;翌年許され常陸片野2万石;
✤寛永2(1625)年,2代正利の時,多病を理由に所領の返還を願い出て驀臣となる;

蜂屋 氏
蜂屋氏 
蜂屋頼隆(兵庫頭):
✤四国攻めでは丹羽長秀,津田信澄と共に信孝を補佐する副将の一人に選ばれた;
✤天正10(1582)年,本能寺の変後は秀吉に仕え,越前・敦賀4万石;
✤秀吉の侍従に任官し,合わせて羽柴姓を与えられ,羽柴敦賀侍従と呼ばれた;

金森 氏:清和源氏土岐氏の支流;
金森 氏 
金森長近:室:斉藤道三の娘,織田信長と相婿;
✤本能寺の変で嫡男の長則が討死し,家督は養子の可重が継いだ;
✤天正14(1586)年,飛騨高山3万石余;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いの功により加増の上本領を安堵され6万石余を領した;
✤元禄10(1697)年,美濃郡上八幡3.8万石余に入封定着;
✤宝暦4(1754)年,頼錦の時,百姓一揆により改易となった;

川尻 氏:清和源氏多田摂津守満仲の次男頼親を祖とする;
川尻 氏
川尻秀隆: 
✤信長が信勝(信行)を謀殺するために清洲城へ呼び寄せた時,信勝の殺害を実行;
✤天正10(1582)年,天目山の戦いで大活躍し,甲斐一国相当を拝領;
✤本能寺の変後,武田旧臣の襲撃にあって一命をおとした;
✤一族のうち旗本となったものもいるという;

堀 氏:藤原氏利仁流;
堀 氏1 堀 堀 秀政
✤文武両道に才能を発揮し織田信長のお気に入りの一人;
✤本願寺の変後は秀吉の従い有力武将に成長しだが,小田原陣中で没した;
堀 秀治
✤秀吉に仕え,天正18(1590)年に家督相続し越前北庄18万石;
✤慶長3(1598)年,越後春日山45万石に移封;2代忠俊のとき家中騒動で改易;
堀 氏2 堀 堀 直政
✤奥田直純の子,堀秀政の家老であったが縦兄弟であったことなどから,秀政から堀氏を
  賜姓されたが,奥田直政と言われることもあった;
✤近世大名としては、堀秀政の家系より、堀(奥田)直政の家系のほうが有力となった;

大田 氏:藤原姓,或は橘姓ともするが,牛一以前は不明;
大田 氏 
大田牛一:【信長公記】などの著者;

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プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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