岡崎三奉行

高力氏:熊谷直実の子孫; 
高力清長
高力左近清長:仏高力;武蔵岩槻2万石; 
高力忠房:元和5(1619)年,遠江浜松3万石;
✤寛永15(1638)年,肥前島原4万石に入封し,島原の乱で荒廃した領村の復興に従事;
高力高長:苛政をしいて,寛文8(1668)年に除封となり,仙台藩に預けられる;
高力常長:酒井忠義に預けられたがのち赦免され,子孫は3000石の旗本に返り咲いた;

天野氏
:藤原為憲流; 
天野家略図
天野三郎兵衛康景:どちへんなし天野三兵;
✤慶長5(1600)年,関ヶ原の戦いの時は江戸の留守居を勤め,翌年,駿河興国寺1万石;
✤ 慶長12(1607)年,家臣が天領の領民を殺傷するという事件が発生した際,家臣を
  庇って自ら藩主の座を捨てたため,除封となり,小田原の西念寺に蟄居; 
✤寛永5(1628)年,息子・康宗が赦免され,子孫は1000石の中堅旗本として存続;

本多氏:藤原氏北家兼通流の二条家綱の後裔;
本多家略図  

本多重次
本多重次:通称作左衛門,鬼作左; 
✤秀吉の生母大政所の世話役を任されたが粗略に扱い,関東入国後に上総国・君津市
  で3000石 与えられ、蟄居を命じられる;
✤その後,下総国相馬郡井野(現:茨城県取手市井野)に変更;
✤養子に結城秀康の家老の一人の本多伊豆守富正;
本多成重
✤慶長18(1613)年,松平忠直の付家老となり丸岡4万石を領し,富正と共に補佐;
✤大阪の陣では武功を挙げ,のちに忠直が改易されると独立した一大名に昇格;
✤1695年,重益の時改易,のち赦免され,2000石の旗本寄合組として復活;

奥平家
奥平家略図 
奥平信昌:後室:亀姫(家康の娘);
✤武田氏に属していたが,信玄の死後間もなく家康に寝返る;
✤三河長篠城を必死に守った功により織田信長より【信】をもらう;
奥平家昌:慶長6(1601)年,下野宇都宮10万石;
✤その後転封を重ね,享保2(1717)年,豊前中津に入封定着;
✤13代で廃藩置県;
松平忠明:慶長7(1602)年,三河作手1万7千石;
✤寛永16(1639)年,播磨姫路18万石;
✤その後転封を重ね,文政6(1823)年,武蔵忍(埼玉県行田市)10万石;
✤13代廃藩置県;

榊原家:南北朝期の武将の仁木義長の子孫;
榊原家略図 
榊原康政:天正18(1590)年,関東入国の際,上野館林10万石を領する;
✤その後転封を重ね,寛保2(1742)年,越後高田に入封定着;
✤14代で廃藩置県;

井伊家:北家の藤原冬嗣の子孫;
井伊家略図 

鳥居家:平氏,もしくは熊野別当;
鳥居家略図 
鳥居忠吉:伊賀,八十歳翁の忠節;
✤今川の目をかすめて銭や糧米を蓄えた;
✤銭が割れないように縦に積む;
✤鳥居宗家は最大で24万石の大身となるが,忠恒の代で無嗣断絶となった;
✤元忠の功績を鑑みた公儀の計らいにより,忠恒の異母弟の主膳正忠春が減石では
  あるが改めて大名に認められた;

戸田家:藤原北家の三条氏流れ;
戸田家略図 
戸田康光:三河田原城主;
✤娘の真喜姫は松平広忠の継室,家康の継母;
✤天文16(1547)年,6歳の家康が今川義元の本拠駿府に送られるようになった時,
  三河塩見坂で出迎え,尾張熱田について織田信秀で引き渡された;
  謝礼として銭1000貫文を受け取った;
✤これに怒った義元は田原に兵を差し向け,康光は田原城に籠もって奮戦したが
  衆寡敵せず嫡男堯光と共に討死し,田原戸田氏は滅亡した;
松平康長:初め今川氏真に仕えたが,密かに家康に属し松平の称号を与えられた;

牧野家(右馬允系):武内宿禰の子孫;
牧野家略図 

大岡家:藤原鎌足の子孫;
大岡家略図 
大岡忠光:言語不明瞭の9代将軍家重の唯一の理解者;

三宅家:新羅王子の末裔という説もあり;
三宅家略図 
三宅康成:天正18(1590)年,関東入国の際,武蔵内で5000石を知行;
✤慶長7(1602)年に加増され三河挙母で1万石を領した;
✤寛文4(1664)年に三河田原1.2万石に入封定着;
✤15代康保のとき廃藩置県;(三宅坂:参謀本部)

渡辺家:嵯峨源氏の渡辺綱の末裔;
渡辺家略図 
渡辺吉綱:元禄11(1698)年,和泉大庭1.3万石に入封定着;
✤享保12(1727)年に伯太に居所を置く;
✤12代章綱のとき廃藩置県;

永井家:桓武平氏良兼流の長田氏;
永井家略図 
永井直勝:家康の命により永井に改姓し, 出自も大江氏に改め譜代大名となった;
✤天正12(1584)年の小牧長久手の戦いで豊臣方の池田恒興(輝政父)を討ち取る;

岡部家:藤原南家工藤氏流;
岡部家略図 
岡部正綱:天正10(1582)年6/6日,家康に命ぜられ穴山梅雪(信君)の所領甲斐下山(現・
       山梨県南巨摩郡身延町)に進出した;(本能寺の変後、家康の初の行動);
岡部元綱
岡部長盛:天正18(1590)年,関東入国の際,下総山崎1.2万石を領する;
✤慶長14(1609)年,丹波亀山2万石,その後,転封を重ねる;
✤寛永17(1640)年,和泉岸和田5.3万石に入封定着;
✤14代で廃藩置県;

植村家:清和源氏土岐氏流;
植村家略図 
植村氏明:松平清康(家康の内祖父),広忠(家康の父)が家臣に殺害された際,殺害した
       家臣を二度とも討ったとこで名高い;
植村家政:秀忠に仕え小姓となる;
✤その後,家光付となり大番頭を勤めた;
✤寛永17(1640)年に加増され大和高取2.5万石を領する;
✤以後変わることなく,14代で置県;

伊奈家:清和源氏義家流;
伊奈家略図 
伊奈忠次:天正18(1590)年,関東入国の際,代官頭になり武蔵小室で1万石を領した;
✤全国各地の検地を担当したのを始め,水利事業,新田開発などに活躍;
✤元和5(1619)年,3代忠勝のときに無嗣断絶となり,関東郡代の要職は忠治の系が
  世襲したが忠尊の時,養子の出奔を理由に一時断絶;

土屋家:桓武平氏の一つ高望王の系譜で平良文の子孫;
土屋家略図 
土屋昌次:土屋長安のち大久保長安の寄親;
土屋長安:信玄により,猿楽師から武士として取り立てられ,土屋昌次の与力になる;
✤この時,姓も大蔵から土屋に改めている;
✤優秀な経理才能により,武田領における黒川金山などの鉱山開発や税務などの庶務を
  任せる行政官となる;
✤天正3(1575)年の長篠の戦いでは兄の新の丞や寄親の土屋昌次は出陣して討死;
  長安は出陣してない;
✤武田家が滅んだ後,家康に仕え,大久保忠隣の与力になり,姓を大久保に改めた;
土屋昌恒:片手千人斬りで有名な武田家の家臣;
✤天正10(1582)年,忠直が生まれた年に天目山の戦いで武田勝頼に殉じた;
土屋忠直:家康の召し出しを受けて家臣となり,秀忠の小姓になる;
✤慶長7(1602)年,加増され上総久留里2万石を領する;
✤延宝7(1679)年,3代直樹のとき精神病となり改易された;
土屋数直:家光に仕え,近習を勤めた;その後、御側、若年寄などを歴任;
✤寛文5(1665)年に老中に進み幕政に参与;

石川家:源義時より
石川家略図 
石川康長:文禄2(1593)年,家督を相続し信濃松本で8万石を領した;
✤慶長18(1613)年,大久保長安と結託して領地を隠匿したの理由で改易された;
石川康勝:文禄2年,父の遺領信濃国筑摩郡内で1万5千石を分与され,別家となる;
✤慶長18年,兄康長に連座して改易,翌年,大阪に入城し冬の陣で戦死;
石川康通:天正8(1590)年,家康関東入国の際,下総鳴戸2万石;
✤慶長6(1601)年,美濃大垣5万石,その後転封を重ねる;
✤延享元年(1744)に伊勢亀山6万石に定着;
✤廃藩置県;
石川総長:寛永18(1641)年召し出されて,小姓組番頭、大番頭などを歴任;
✤慶安4(1651)年,伊勢神戸1万石を分与され別家となる;
✤享保13(1728)年,常陸下館2万石に入封定着;
✤11代で廃藩置県;


日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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