甲斐源氏

甲斐源氏略図    

✤武田信親(竜宝):母は三条夫人
  天正10(1582)年、織田軍が甲斐へ侵攻し信親は寺へ匿われたが、異母弟勝頼の敗死を
  聞いて自害した。子の信道は元家臣の土屋長安の保護を受けた。
  大久保長安死後に疑獄事件が発覚し関係者が処罰され、信道も連座して伊豆大島に
  配流となり、其の地で一生を終えた。
  5代将軍綱吉の時、信道の孫・武田信興が幕府に召し出されて500石を与えられ、
  表高家衆に列せられた。
  大正4(1915)年、信玄に縦3位を贈位することになった際、信親の子孫が武田家の
  総本家であると定められた。

✤武田信清:母は信濃小県郡の禰津氏の娘の禰津御寮人。
  甲斐源氏の旧族である安田氏の名跡を継承し、海野城の城主となった。
  武田家滅亡後、上杉景勝の正室・異母妹の菊姫の縁を頼って上杉氏に寄寓し、
  上杉家一門・高家衆筆頭として3300石を領し、武田姓を復帰して、米沢武田家となった。

✤武田信吉:幼名万千代、通称七郎。
  徳川家康の五男で、外戚の穴山勝千代の名跡を相続し武田姓を称した。
  天正18(1590)年の関東入国のさい下総小金で3万石を領した。
  文禄3(1594)年に下総佐倉に移封、慶長7(1602)年には常陸水戸で15万石を領した。
  病弱のため常に引き籠りがちであった。
  慶長8(1603)年に21歳で没し断絶となった。

✤小笠原長時:信濃の守護、中信濃の府中林(松本)城の城主。
  天文19(1550)年、武田信玄に敗れ、都に上がり、同族の三好長慶に頼った。

✤小笠原秀政:初名貞政、従五位下信濃守・上野介・兵部大輔。
  正室は家康の長男信康の娘・登久姫
  天正13(1585)年、石川数正とともに秀吉に仕え、秀吉と家康和睦後、
  旧領信濃松本城に復帰した。
  同18年、家康の関東入国にともない下総古河3万石を領した。
  慶長5(1600)年に信濃飯田5万石、慶長18年には信濃松本8万石に加増転封。
  元和元年(1615)、大阪の役に戦死した。
  その後、加増転封を重ね、寛永9(1632)年、豊前小倉15万石に入封定着。
  11代忠忱のとき廃藩置県。
  この間、慶応3(1867)年に長州藩の小倉侵攻により居所を香春に移転、
  更に明治2(1869)年に豊津に移転した。

✤小笠原信之:酒井忠次の三男、通称小平次郎、従五位下左衛門佐。
  家康に仕え、慶長3(1598)年、家督を相続し、武蔵本庄1万石を領した。
  ついで同17年、下総古河2万石に加増転封された。
  その後、転封を重ね、元禄4(1691)年に越前勝山2.2万石に入封定着。
  11代長育のとき廃藩置県。
  




          日立市十王町漢方整体院
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Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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