朝倉氏系図

朝倉氏:本貫は但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父/ヤブ市)であり、朝倉氏の出自は
 日下部(クサカベ)の嫡流であるが、越前の朝倉氏は但馬の朝倉氏の支流に当たる。
 越前国守護斯波氏の三守護代(甲斐氏、織田氏)の第二席。
朝倉氏略図 

✤朝倉宣正:従五位下筑後守、徳川忠長の附家老・掛川城主。
  正室は土井利勝の養父・土井利昌の娘。
  慶長5(1600)年の上田合戦では上田七本槍の1人に挙げられる活躍をした。
  元和7(1621)年に加増され1万石の大名となり、同時に秀忠の命令で
  忠長の附家老に任じられた。
  元和10(1624)年には2.6万石の掛川城主となった。
  忠長の不正に対し諫言しなかったため、寛永9(1632)年10月、忠長除封に連座して
  松平忠明に預けられ大和郡山に蟄居。
  その後、許されて妻の兄である土井利勝に招かれた。
  寛永14(1637)年に死去。享年65。


北条氏系図:桓武平氏伊勢氏流。
室町幕府の御家人・伊勢氏の一族・伊勢盛時を祖とする。
後北条氏略図 

✤北条氏直:通称新九郎、従五位下左京大夫。
  母は武田信玄の娘・黄梅院、正室は家康の次女・督姫(のち池田輝政の継室)。
  天正8(1580)年、父の隠居により家督を継いで北条家の第5代当主となる。
  天正19(1591)年2月、秀吉に許され、旧織田信雄邸与えられ、1万石の豊臣大名に
  なったが、同年11月に病死、享年30。
  長女は夭折、次女は池田利隆の許婚となったが、慶長7(1602)年、17歳で病死。
  従弟の氏盛が氏直の名跡と遺領の内4000石を相続した。

✤北条氏盛:通称助五郎、従五位下美濃守。
  天正18(1590)年に秀吉に仕え、下野内で4000石を知行した。
  慶長5(1600)年に家督を相続し、父の知行分河内内7000石を合わせ大名となった。
  元和2(1616)年、陣屋を狭山に設け、12代氏恭のとき、明治2(1869)年に
  堺県に合併された。

✤北条氏勝:従五位下左衛門大夫。
  小田原北条氏に仕え、天正18(1590)年に家康に降り、下総佐倉1万石を領した。
  万治元年(1658)、2代氏重のとき後嗣なく断絶となった。





          日立市十王町漢方整体院
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Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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