足利氏系図

足利氏略図 

三管領
  細川氏:四国を根拠地とする豪族。
  畠山氏:河内、紀伊、越中の守護。
  斯波氏:越前、尾張、遠江の守護。

四職(侍所):山名氏赤松氏京極氏一色氏

鎌倉府
  鎌倉公方:基氏(モトウジ)の子孫が世襲。
  関東管領:上杉氏が世襲。
  侍所(軍事警察事務):千葉氏の世襲。
  政所(財政をつかさどる):二階堂氏の世襲。

✤足利義持:父・義満の対明卑屈外交を嫌い、父の遺言と称して、明との国交を断絶。

✤足利義嗣:
  兄・義持を差し置いて義満から溺愛されており、世間からは義嗣が義満の後を嗣ぐ
  のだろうと思われた。
  義満が後嗣ぎを決めずに死ぬと、宿老・斯波義将や子で管領の義重らは既に
  将軍の位にあった義持を後継ぎと決定。
  持氏と衝突して辞任した上杉禅秀を誘い、禅秀の乱を起こした。

✤永享の乱(1138~1139年):
  持氏は管領上杉憲実の反対を押し切って将軍の許可無しに子賢王丸の元服後に
  義久と命名した。
  憲実は自分の力では公方を補佐出来ないと考え、自分の領国上野の白井城に
  引き上げてしまった。
  持氏は憲実の鎌倉退去を怒って追討軍を差し向け、憲実は幕府に救援の軍の派遣を
  求めた。
  機会の到来を待っていた義教は斯波持種を主将とした鎌倉公方追討軍を派遣。
  永享11(1139)年2/10日、持氏自殺、2/28日、義久自殺、鎌倉府はいったん滅亡した。

✤結城合戦(1140~1141年):
  下総の結城氏朝が持氏の遺児安王丸・春王丸を奉じて兵を挙げ、関東諸国の
  武士に檄を飛ばした。
  結城城は幕府・鎌倉の大軍に包囲され、籠城一年後ついに城は落ち結城氏朝は戦死、
  遺児も捕られ斬られた。
  
✤嘉吉の乱:嘉吉元(1141)年6月24日、
  赤松邸でこの結城合戦の勝利を祝う猿楽の宴の最中で将軍義教が暗殺された。

✤応仁の乱:応仁元(1467)年~文明9(1477)年。
  京都を中心に、ほぼ全国を東西両軍に分けて戦われた大乱。

連川頼氏:通称左馬頭、文禄3(1594)年に兄国朝より遺領3500石を相続。
  慶長6(1601)年に1000石を加増された(下野喜連川5000石)。
  喜連川氏は大名とは言い難いが、古河公方の血を引く名家として客分の扱いを受け、
  無官で万石以下ながら10万石の格式を許されていた。
  明治3年、12代聡氏のとき廃藩となり日光県に併合された。

多俊:通称半右衛門、従五位下因幡守。
  秀吉に仕え、1万石を領した。
  慶長8(1603)年に家督を相続し、大和高取で2.5万石を領した。
  寛永14(1637)年、2代政武のとき継嗣なく断絶となった。



          日立市十王町漢方整体院
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愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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