十王地区と周辺の駅&城跡

常陸風土記】,【日本後記】,【延喜式】などに見られる駅(うまや)の設置状況:
常陸国の国府:石岡市,府中城跡:現・石岡小学校敷地,大掾氏の居館とも言われる;
河内駅:水戸市渡里町付近;
石橋駅:那珂町本米崎或東海村豊岡付近;
助川駅:日立市助川町付近;
田尻駅:日立市田尻町付近;
藻島駅(メシマ):十王町伊師町付近,現・櫛形村大字伊師小字藻島;伊師町から石瀧へ
つづく小石川べりで,現在は田となっている;
大和武尊が船に乗って海上の磯々を見物した時,櫛形海岸あたりの海中に種々な
  海藻が沢山に繁っていたので【藻島】という名をつけた;
✤碁石の様な光沢のある美しい白と黒の玉石がこの海岸にだけあったと書いてあって,
  それでこの所の地名を碁石の浜或は石浦と言ったと言われている,これが伊師の地名
  の起源で,即ち旧伊師郷である伊師浜村伊師町村石瀧村伊師本郷村の名はここ
  から出たものであり,川尻の小貝浜は古へ碁石浦の一部である;
棚島駅:北茨城市磯原付近;

十王堂:閻魔王を初めとする地獄の庁に勤める十人の王を祀った堂;
慶長9(1604)年徳川家康が改めた街道筋で,川尻村から伊師町村への入口に十王堂が
あった事が伊師町村の天保13年の検地絵図に記されてある;

鎌倉時代:(金砂合戦以降)の奥七郡の地頭:
多賀郡宇佐美祐茂(スケナリ) → 伊賀光季
✤宇佐美祐茂(スケナリ)─祐政─祐泰─祐義─
✤宇佐美祐茂:高萩の安良川に住んだが,和田合戦で義盛に党して討死した;
佐都東郡宇佐美政光 → 伊賀光季
✤宇佐美政光:和田合戦で和田義盛方に加担したので所領を没収された;
伊賀氏は日立の宮田川口の北側の伊賀町に住んだ;
✤藤原秀郷─千常─文修─文行─公光─公季─公助─文郷─光郷─朝光─伊賀光季─
伊賀光季:承久の乱(1221年)時の京都守護、後鳥羽上皇方に討たれた;
         執権北条義時とは義理の兄弟;
佐都西郡:佐伯実盛(サネモリ);
久慈東・西郡:二階堂行村;
那珂東・西郡:中郡実久;

室町時代(1485年,岩城常隆が多賀郡に侵攻した時)の多賀郡の城:
車 城:北茨城市,現・北茨城市華川町;
✤城主:車丹波(斯忠,猛虎,義照,忠次)
✤工藤氏・・二階堂氏・・車氏→岩城隆景(常隆の弟)─某─義秀→斯忠;
竜子山城:高萩市,現・高萩市下手綱,手綱小学校裏山;
       別名:松岡城,手綱城,現・武家屋敷跡;
✤城主:永禄元(1558)年:大塚政成
✤大塚道秀→貞成(頼成)→成貞(1485)→宗義→行成→政成→重成→隆成→親成
  →隆通→源太→
大塚貞成:元・菅股城城主;
  上杉禅秀の乱で公方方に見方し手綱郷を与えられ,慶応27(1420)年頃,菅股城を
  弟・成義に与え、自分は山城で有名なこの竜子山城に移って改修した;
大塚隆通:慶長元(1596)年,佐竹義宣により弟の岩城貞隆の知行割りで陸奥の
   折木城(福島県広野)に移封され,大塚氏の170年間続いた竜子山支配は終わり,
  子孫は石川氏に仕える
安良川城:高萩市・現・高萩小学校敷地;
✤築城者は元・工藤祐経の弟・家臣宇佐美祐茂
✤天文年間(1532~1554)に宇佐美氏は大塚氏に属したらしい;
✤城主:大塚氏,のち水戸藩郷役所の陣屋;
山尾城:十王町・現・十王中学校敷地;
✤城主:小野崎氏
✤多賀郡北東の守備拠点として極めて重要な城;
大窪城:日立市;
✤永禄05(1562)年:大窪光秀(佐竹氏の宿老で多賀郡の南部を守っていた);
石名坂:日立市,
✤古来から奥州に向かう海岸沿い通路の難所の一つとされて来た所である;
太田城:日立市;
✤城主:佐竹氏
額田城:那珂町;
城主:天正13(1585)年:小野崎照通
日立市十王町周辺の景色




日立市十王町漢方整体院
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愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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