硫黄島の戦い~終戦

s20年  2/4日:ヤルタ(ウクライナの避暑地)三者会談:(2/4~2/12);
ルーズベルド:中立条約のため太平洋方面で参戦していないソ連の日本への攻撃を要求;
チャーチル:ノーと言わず;
スターリン:ドイツ降伏後,準備期間を取って三ヶ月後に対日参戦する;
✤ドイツ5/7降伏,ソ連は約束を守って8/9日日本に攻撃開始;
✤米も英もこれを承知たった;

2/9日:硫黄島の戦い:(2/19~3/26日)
硫黄島:東京から約1200km,小笠原諸島の南西,硫黄列島の中央にある;
米軍側:マリアナ諸島と日本本土の間の島に航空基地を作る;
     兵力:7・5万余;
日本側:硫黄島を奪われればB29との協同作戦によって本土制空権を奪われる;
     兵力:2・9万余,守備隊長:栗林忠道(中将);
✤米軍の損害(死傷2万5851人,3人に1人)が日本軍(死傷2万数百人)を上回った;

2/22日:陸軍省と参謀本部の首脳の合同会議:(2/22; 2/24; 2/25)
✤【本土決戦完遂基本要綱】を決定(大動員で人海戦術);

3/10日:東京大空襲
米軍側:【日本の民家は軍需工場と同じだ,民衆も戦士であって無差別攻撃にならない】;
日本側:戦後カーチス・ルメイ大将に勲一等の勲章を差し上げた;

4/1日:沖縄戦:(4/1~6/22);
米軍側:軍艦1317隻;航空母艦に乗った飛行機1727機;上陸部隊18万人;
日本側
第32軍:司令官:牛島 満,約6.9万人;
∴第24師団:満州の東安から沖縄;
∴第28師団:満州のチャハル(ハルピン)から宮古島;
∴第62師団:北支から沖縄;
∴独立混成第44・45・59・60・64旅団;
∴其の他:
海軍陸戦隊:司令官:大田 実;約8000人;
✤満17歳~45歳までの沖縄県民男子2.5万人を動員(男子中学校の上級生1600人);
ひめゆかり部隊:女子学校の上級生600人;
✤6/22日:沖縄戦終了,戦死10.9万人,市民15万人亡くなった;

予科練:S5(1930)~
海軍甲種飛行予科練習生
S12(1937)年から:中学校3年生から受験資格あり;
✤(最初は中学校4年終了程度の者が対象だったが後に中学校2年生に切り下げた);
特別教育期間:(3ヶ月間,海軍としての基本を学ぶ);
✤1ヶ月:二等飛行兵;
✤2か月:一等飛行兵;
第2学年に進級:(3ヶ月);
✤上等飛行兵;
✤操偵に分かれて自分の専門の適性に邁進;
兵長に進級
海軍乙種飛行予科練習生
S12(1937)年にS5年から始まった予科練制度によるものを乙種飛行予科練習生と改め,
中学校2ん年生/小学校高等科2年生から入隊;

海軍飛行専修予学生
第13期
✤S18(1943)年9/30:土浦海軍航空隊に入隊;
✤S19(1944)年5/31:少尉任官;
✤S19(1944)年11月:訓練教程終了;
出陣学徒
第14期飛行予備学生
✤S19(1944)年2/1入団;
✤S19(1944)年12/25少尉任官;
✤偵察・操縦:合わせて2000人余り,土浦航空隊に入隊;
✤飛行要務:約1300人余り,鹿児島航空隊へ入隊;
第11期海軍主計見習士官
一般兵科の海軍第4期予備学生(水雷,航海,通信,砲術,其他);

海軍兵学校
✤65期:S13・3末卒業,最高に殴られる;
✤66期:S13・9初卒業,聖人クラス;
✤67期:S14・8・7卒業,お嬢さんクラス;
✤68期:S12・4・1入学,S15・8・7卒業,S16・4・1少尉任官,S18・11・1大尉任官;
✤69期:S13・4・1入学;
✤70期:S13・12・1入学,S16・11・15卒業(68期,69期,70期は300人クラス);
✤71期:S14・12・1入学,600人クラス;
✤74期:S20・3卒業;
✤77期:S20・4・10入学;

沖縄特攻
海軍:司令部:福岡==>大分県佐伯==>鹿児島県鹿屋;
司令官:宇垣 纏(S20 8/15航空機に乗って沖縄に突入);
参謀長:草鹿龍之介
陸軍:第6航空軍:司令部:S20・3 東京==>福岡(福岡高等女学校);
司令官:菅原道大(ミチオ),95歳で死去;
参謀長:川島虎之輔
✤振武寮:元・福岡女学院の寄宿舎,不時着などして生き残った特攻兵達を集めて監禁;
✤知覧:S20・3/28日~特攻出撃開始;
陸軍指定食堂:富屋食堂鳥浜とめ(娘:赤羽礼子,薩摩おごじょ);

4/6日~4/7日:菊水1号作戦と第1次総攻撃開始;
4/28日:菊水4号作戦と第3次総攻撃:
✤特攻機は傷病者輸送船・【コンフォート】,輸送病院船・【ピンクニー】に体当たり;
6/3日:菊水9号作戦と陸軍による最後の特攻・第10次総攻撃を実施;
6/22日:海軍による最後の特攻・菊水10号作戦を実施;

その後の特攻
7/17日:駆逐艦一隻が特攻機によって損傷;
7/24日:ルソン島沖で護衛駆逐艦【アンダー・ヒル】が回天の攻撃を受け友軍の手で処分;
7/28日:沖縄方面で駆逐艦【キャラガン】が海軍の特攻隊・第三龍虎隊の九三式中間練
     習機・赤トンボの体当たりにより沈没した;
8/13日:上陸作戦用輸送艦【ラグランジ】が特攻機により損傷;

特攻戦死者:約6000人、飛行機3900人(海軍:2500人、陸軍:1400人)、其の他:
海軍:最後の菊水作戦の後,6/23日から終戦までに沖縄方面に向けて通常作戦機
    708機(内・特攻機64機)を出撃させ,未帰還は58機(内・特攻33機);
陸軍:3/17日から7/3日までに890機の特攻機を突入させた;

4/6日:第2艦隊の旗艦【大和】出撃:豊田副武連合艦隊司令長官訓示を送る;
    司令官:伊藤整一
    艦  長:有賀幸作
4/7日:戦艦【大和】,九州の坊岬沖で2時間の奮戦の後に沈落;
✤乗組員2740人(一説:乗り組み員3009人中2733人,91%)戦死;
✤他に軽巡洋艦【矢矧/ヤハギ】と駆逐艦4艘が沈没し,総戦死者は3721人にのぼる;
✤アメリカ軍機が何回か偵察し,おもしろがって漂流中の日本軍人を銃撃;

✤ソ連が日ソ中立条約を廃棄することを通告;
✤小磯国昭内閣辞職,鈴木貫太郎内閣発足;
4/13日:ルーズベルト大統領亡くなる、後任にトルーマン大統領;
4/28日:ムッソリーニ大統領イタリア国民によって銃殺され逆さまに吊らされる;
4/30日:ヒトラー自決;
5/7日:ドイツ無条件降伏(イタリアはS18・9 降伏);
6/22日:沖縄戦終了;
7/24日:6時35分,ポツダムにいるトルーマン大統領から正式に承認を得た;
8/3 以降,いつ原子爆弾を投下されても不思議ではまい状態になった;
7/26日:ポツダム(ベルリン郊外)宣言:日本の降伏を勧告する;
8/6日:午前8時15分:広島原爆
8/7日:スターリン:【8/9満州の国境を突破すべし】と攻撃開始極密命令;
8/9日:午前零時:ソ連が満州の国境線を侵入;
✤最高戦争指導会議:ポツダム宣言の受諾が決定,会議中午前11時2分に長崎原爆
✤午後14:00~17:00:第1次閣僚会議;
✤午後18:00~22:00:第2次閣僚会議;【ポツダム宣言受諾の条件】;
①天皇の国法上の地位を変更しない;
②占領は小範囲で小兵力で短期間であること;
③武装解除を日本人の手に任せること;
④戦犯の処置を日本人の手に任せること;
東郷茂徳米内光政:①だけでOK
阿南惟幾梅津美治郎豊田副武:①~④
✤午後23:50~翌日午前2:30ややすぎ:御前会議
最高戦争指導会議のメンバー;
枢密院議長:平沼騏一郎
書記長官:迫水久常
陸軍軍務局長:吉積正雄
第1回聖断:一条件のみ希望として伝え、それでよしとなれば降伏する;
8/10日:外務省が中立国のスイスとスウェーテン駐在日本大使を通じて連合国に伝える;
8/14日:
✤陸軍クーデタ計画(8/10~1/14)午前7:30頃,梅津阿南の反対で弾け飛んだ;
✤午前10:15から合同会議:二度目の聖断;
✤午後23:00連合軍に通達;
8/15日:
✤全国民に動揺させずにうまく治めるように知らせるため正午に天皇が放送する;
阿南惟幾陸相:割腹自決;【一死を以テ大罪ヲ謝シ奉ル】;
✤本土の兵力:陸軍225万人,海軍125万人,特攻機6000機(陸海軍合わせ);
鈴木貫太郎内閣辞職;東久邇宮内閣発足;

満州の日本人
一週間戦争(8/9~8/16):
戦死:8万人;
捕虜:57万4538人,シベリアに送られ無事引き上げ47万2942人;
✤10万人以上がシベリアの土の下に眠っている;
✤H5・10:エリツイン大統領6万1805名死者名簿渡す;
満州開拓団:約27万人;
約10万人が逃避行の途中で犠牲となった;
残留孤児
逃避行の中で中国人に預けられたり,拾われたり,或は買われたりした人々;


日立市十王町漢方整体院

インパール作戦~フィリピン特攻

S19(1944)年
インパール作戦:3月~
インパール:ビルマの国境線の向こう山を越えた所にあるインドの主要都市;
作戦目的:不利になりゆく戦勢で不人気になりつつある東条内閣への全国民の信頼を再燃;
作戦推進人牟田口廉也:第15軍司令官,東条英機の子分;
第15軍
司令官:牟田口廉也(好きなもの:①勲章,②メーマ,③新聞ジャーナリスト);
第33師団:司令官:柳田元三
水戸第213連隊,宇都宮第214連隊,高崎第215連隊;終戦時:タイ・ナコンアヨーク;
第15師団:司令官:山内正文
京都第51連隊,京都第60連隊,敦賀第67連隊;終戦時:タイ・カンチャナブリ;
第31師団:司令官:佐藤幸徳 → 河田槌太郎
東京第58連隊,佐倉第138連隊,甲府第124連隊;終戦時:ビルマ・タトン
(越後高田第58連隊,関西第138連隊,博多第124連隊)

牟田口廉也:(河辺正三・当時 ビルマ方面軍司令官に)【支那事変を起こした責任が
  あります,この作戦を成功させ国家に対して申し訳が立つようにせねばなりません】;
✤4月末:
①戦力が40%前後に低下し,これ以上攻撃できない,撤退した方がいい状態になった;
②ビルマは5月を過ぎると雨季で撤退しづらい;
③牟田口はなお攻撃を主張し尻を叩き続けた;
✤5/20日:参謀本部もさすがに作戦は失敗と判断し,ビルマ方面軍に旨を伝えた;
✤6/4日:
牟田口:【戦も今が峠であり,これ以上心配はかけない,必ずインパールを落してみせる】;
河辺正三:【華華しさを求めずに地味な作戦で行くように】と激励;
✤6/5日:
牟田口:【部下の師団長をクビにする】(既に二人の師団長をクビにしていた);
河辺正三:【そういうことでは作戦がうまくいかないのではないか?】と牟田口を睨みつけた;
牟田口も負けず睨み返し会談はそのまま無言で終了;
✤結果的にイギリスとインドの連合軍に大惨敗した;

マリアナ諸島の死守戦:6/9日~
4/28日・陸海軍合同会議:服部卓四郎(作戦課長):【マリアナ諸島は絶対に落ちない】;
5/19日・大本営政府連絡会議:東条英機(首相):【サイパンの防衛はもはや安泰である】;
第31軍:司令部:トラック島 司令官:小畑英良麦倉俊三郎
第29師団:中国・満州で編成された部隊,S19・2:満州・遼陽からグアム島に来た;
海城第18連隊(元647部隊),遼陽第30連隊(元574部隊),遼陽第50連隊(元318部隊)
終戦時:グアムで玉砕
第43師団:司令官:斉藤義次
第135連隊:福知山,京都,名古屋の平時部隊の現役兵を基幹とす;
第136連隊:岐阜;
第118連隊:静岡;
終戦時:7/7 サイパンで玉砕;
第52師団:富山第69連隊,金沢第107連隊,松本第150連隊;終戦時:トラック島;
独立混成第47旅団:満州第1派遣隊;満州の精鋭師団の現役兵から抽出;
終戦時:7/7 サイパンで玉砕;
独立混成第48旅団
終戦時:7/7 サイパンで玉砕;
独立混成第50旅団:終戦時:メレヨン
独立混成第51旅団:終戦時:トラック
独立混成第52旅団:終戦時:ポナペ
✤6/15日:米軍サイパン島上陸を開始し,たちまちに占領;

マリアナ沖海戦
:(6/15~6/20)
米軍側:空母:15隻; 航空機:950機の機動艦隊;
日本側:再建中の第3艦隊(機動部隊),指揮官:南雲忠一 小沢治三郎
ようやくの思いで完成させた正規空母:大鳳,翔鶴,瑞鶴など9隻;飛行機約450機;
結果:日本は350機も発進しながら,米・空母に擦り傷さえ与えることができなかった;
✤130機:コースから外れてアメリカ空母艦隊を発見できなかった(未熟さ);
✤約200機は途中で米の戦闘機隊に待ち伏せされ大半が撃ち落された;
✤それをくぐって飛び続けた飛行機は米の空母部隊の100km手前で戦艦部隊に遭遇,
  大半が艦砲射撃で撃ち落された;
✤VT信管付き五インチ対空砲:15m以内に命中すれば爆発する秘密兵器開発;
✤それでも何機かがアメリカ空母の上空に達したが爆弾2発を至近距離に投下したのが
  最大の戦果;
✤潜水艦の雷撃を受け【大鳳】,【翔鶴】が沈没,艦載機攻撃を受け【飛鷹】が沈没;
✤日本の飛行機はわずか50機が残った;
南雲忠一ら三人が責任を問われて切腹ヲ命じられる;
✤アメリカ側はこの海戦を【マリアナ七面鳥撃ち】と命名;

6/25日:元帥会議
①陸海軍両総長の説明を聞き論議を交わしたもののもはやタメだと結論;
伏見宮の発言を受けて陸海軍は【特攻作戦】を現実的に計画し始める;
7/7日:サイパンの日本守備隊が玉砕;サイパン勝利はまったくないことが決定;
7/9日:米軍がサイパン島占領を宣言;
7/18日:東条英機内閣総辞職;次に小磯国昭内閣成立す;

8/1日:海軍大臣米内光政が決裁し回天(人間魚雷)が正式に兵器として採用される;
黒木博司中尉,仁科関夫少尉;
呉のP基地:広島県呉市倉橋島大浦にあった甲標的の基地;
9/1日:第一特別基地隊として山口県徳山市大津島の回天基地が発足;
✤【松政】:出撃壮行会をやる料亭,徳山市糀町(コウジマチ);
倉重朝子:回天の母・お重さん;
①回天で出撃して戦死者─86人;
②訓練中の殉職者─15人、自決者─2人;
③回天を運んだ潜水艦の中で敵艦隊に近づきすぎて攻撃され沈没した潜水艦─8艘,
  乗り組み員─845人(千人以上ともいう);
✤【いつの出撃でも一本や二本オメオメと帰ってくる,鉢巻を締め,日本刀をかざして
  全員に送られて,得意になって出て行くだけが能じゃない,出て行く以上,戦果を挙げ
  なけりゃなにもならん。スクリューが回らなかったら,手で回して突っ込め!

✤他の特攻兵器:海軍:震洋─グリンピース; 陸軍:マルレ

10/17日:レィテ作戦
連合艦隊(第3艦隊)は囮艦隊として参加し全空母を失いながらも米軍機動部隊の誘引に
成功;しかし第2艦隊(第1遊撃隊,戦艦大和;武蔵を含む39隻,栗田健男)はレィテ島突入
を断念した;レィテ沖海戦後連合艦隊は事実上壊滅し第3艦隊は廃止された;
10/19日:フィリピンのルソン島クラーク基地の第1航空艦隊で神風特別攻撃隊が誕生;
10/20日:米軍がフィリピン上陸開始:
第14方面軍:司令官: 山下奉文(ヤマシタトモユキ);
第35軍
∴第16師団(京都):主力はレィテ島,一部はサマール島;
  京都第9連隊,福知山第20連隊,津 第33連隊;
∴第30師団(平壌):ミンダナオ島;
∴第100師団(名古屋):ミンダナオ島;
∴独立混成第54旅団(仙台):ミンダナオ島;
∴熊本第102師団:ビサヤ諸島;
直轄兵団
∴第1師団(東京):上海より輸送中,のちレィテ島;
  東京第1連隊,甲府第49連隊,佐倉第57連隊;
∴第8師団(弘前):満州・綏陽からルソン島;
∴第26師団(名古屋):ルソン島,のちレィテ島;
  名古屋第11連隊,岐阜第12連隊(今堀支隊),静岡第13連隊;
∴第103師団(熊本):ルソン島;
∴第105師団(広島):ルソン島;
∴戦車第2師団:満州・勃利からルソン島;
∴独立混成第55旅団(弘前):主力はホロ島,一部はセブ島;
∴独立混成第58旅団(弘前):ルソン島のちレィテ島;
  弘前第47師団から6個大隊を抽出して結成された部隊;
∴独立混成第61旅団(京都):パタン島,バブヤン島;
∴独立混成第68旅団:台湾からレィテ島;
  満州の公主嶺の教導学校(S16・6創立)で養成された特殊部隊;
  全国より選抜した成績優秀な兵より成り,主として遊撃専門に訓練した;

関東軍の転用
S19・2月
第14師団(宇都宮):チチハル→パラオ諸島
第27師団(佐倉):錦州→中国北部
第29師団(満州):遼陽→グアム島
S19・6月
第9師団(金沢):牡丹江→台 湾
第28師団(満州):ハルピン→宮古島
第68旅団(満州):公主嶺→レィテ島
S19・7月
第1師団(東京):孫呉→レィテ島
第10師団(姫路):佳木斯→ルソン島
第4飛行師団:佳木斯→ルソン島
戦車第2師団:勃利→ルソン島
第8師団(弘前):綏陽→ルソン島
S19・10月
第23師団(熊本):ハイラル→ルソン島
S19・12月
第12師団(久留米):東寧→台 湾
S20・3月
第57師団(満州):山神府(孫呉のやや北方)→本土福岡
第11師団(善通寺):虎林→本土高知
第24師団(満州):東安→沖 縄
第25師団(満州):林口→本土宮崎
第71師団:琿春→台 湾
第111師団:穆稜→済州島

フィリピン特攻神風特別攻撃隊
✤S19/10/19日:フィリピンのルソン島クラーク基地の第1航空艦隊で誕生;
✤第1航空艦隊:真珠湾奇襲を実施した部隊;特攻が始まる頃は空母はもちろん軍艦も
  持たず陸上基地の航空隊だけで編成されていた;
✤S19・10中旬:大西が赴任する直前になると40機にもみたぬ30機そこそこの飛行機で
  まともな航空作戦は出来ない状態たった;
司令官:大西滝治郎(参謀長:小田原俊彦);
✤もともと戦闘機パイロット;
✤日中戦争の頃は漢口を基地として重慶への長期にわたる無差別爆撃を指揮;
✤太平洋戦争が始まる一年近く前から第11航空艦隊の参謀長;
✤山本連合艦隊司令長官がハワイ真珠湾奇襲作戦を着想して,その具体化を最初に
  相談したのが大西滝治郎;
✤第1航空艦隊司令長官としてマニラに赴任する前に大本営海軍部の航空参謀・源田実
  大佐らとの間に特攻を行うことについて十分な打ち合わせが行われたようだ;
✤10/13日,軍令部作戦課(第一課)の航空作戦計画担当の源田実中佐は一通の電文を
   起案;【神風隊攻撃ノ発表ハ全軍ノ志気ノ高揚並ニ国民戦意ノ振作ニ至大ノ関係アル処
  各隊攻撃実施ノ都度純忠ノ至誠ニ報ヒ攻撃隊名ヲモ併セ適当ノ時期ニ発表ノコト取計ヒ
   度《略》】261917番; この電文は、特攻出撃第一陣の出発までに大西の手許に届かな
  かったが,大西はすでに源田との打ち合わせを済ませている。
源田 実
✤山本長官から作戦の相談を受けた大西は具体的な作戦案作りを源田実に依頼;
✤第一航空艦隊の参謀となり,真珠湾奇襲は源田の作戦案に従って実行;
✤ミットウェー海戦に完敗するまで,空母部隊を事実的に取り仕切た;

第201海軍航空隊:(敷島隊を出撃させた航空隊);
司令官:山本 栄
飛行長:中島 正:のち神雷部隊(桜花部隊,第721海軍航空隊)の作戦主任;
飛行副長:玉井浅一:のち台湾第205海軍航空隊の司令官に昇進する;

神風特攻隊:指揮官:関 行男(大尉,23歳);
✤敷島隊:5機; 10/25飛び立ち;
✤大和隊:6機:
✤朝日隊:2機;
✤山桜隊:2機;
✤菊水隊:2機;
 セント・ロー攻撃3時間前に出撃し護衛空母サンティ;護衛空母スワニーに体当たりした;

関 行男
✤1941年11月に海軍兵学校70期卒業,1ヶ月後に太平洋戦争が開始;
✤1944年の春,結婚したばかり;

敷島隊
✤ルソン島マバラカット基地から10/25午前7時25分,直援機4機と共に5機出撃した;
✤戦艦大和のレィテ湾突入を援護するため,爆装0戦で敵空母に体当たりし,相手の
  航空兵力を一時的ても封じ込めるのが任務;
✤午前10:40分敵空母群発見;
①護衛空母セント・ロー:沈没;
②護衛空母カリーニン・ベイ:損傷,飛行甲板に激突したが爆弾は爆発しなかった;
 (関 行男機はセント・ローが攻撃されるより前に体当たりした)
③護衛空母キトカン・ペイ:(カンビに)一機命中;

当時フィリピンの陸軍航空部隊:第4航空軍:
✤飛行機を200機も持っていなかったが人員はおそらく8万人規模を保っていた;
✤司令官:富永恭次(キョウジ):
  直接の部下10万人以上を置き去りにして自分だけより安全な台湾へ移動した;
   陸軍中央は富永を予備役に編入した;

第2航空艦隊
司令官:福留 繁(大西と海軍兵学校同期);
✤基地航空隊だけで編成,フィリピンに進出した時は300機近い飛行機をもっていた;
✤600機近い飛行機があったが10/12~10/16の台湾沖航空戦で大幅に戦力ダウン;
✤10/24日,10/25日 通常爆撃を行った;
✤10/24日:フィリピン・シプセン海:
 米軍側:軽空母プリンストンの炎上(通常爆撃から受けた唯一の損害);
 日本側:190機と搭乗人を一瞬にして失った;
 戦艦武蔵が沈没し,水上部隊も大きな打撃をうけ撤退した;
✤S20・1/9日,フィリピン特攻が終わった後,戦力が底をついて解体となり,残部の航空
 兵力は大西の第一航空艦隊に吸収された;
✤福留は第一南遣艦隊司令長官となってシンガポールに赴任;

陸軍特攻隊:海軍航空隊に約一ヶ月遅れて体当たりを始めた;
内地で編成してフィリピンの戦場に送り込んだ;
万朶隊:10/21日,茨城県、鉾田教導飛行師団で編成;
 11/12;第1陣:99式双発軽爆撃機4機と直援する一式戦闘機11機で編成;
富嶽隊:10/24:静岡県,浜松教導飛行師団で編成;11/13;第2陣:
八紘隊:三重県,明野教導飛行師団で編成;
一宇隊:茨城県、常陸教導飛行師団で編成;
靖国隊:第51教育飛行師団で編成;
護国隊:第10飛行師団(関東地区の防空師団)で編成;
石腸隊:千葉県,下志津教導飛行団で編成;

第1航空艦隊
✤フィリピン特攻が終わった後,司令部とパイロットだけが台湾に後退していた;
✤S20・1/9日,アメリカ軍がルソン島リンガエン湾に上陸した直後まで,ほとんど連日
 出撃,例外的に1/25日,住野秀信中尉の零戦一機がリンガエン湾のアメリカ艦船郡
 に突入した;
✤整備要員や飛行場関係の部隊はフィリピンで地上戦を戦い大半が戦死;
✤S20・3月初旬で85機程度だった;
✤S20 5/10志摩清英新司令官着任,6/5解隊;

神雷部隊:721海軍航空隊─3・5tのロケット爆弾
✤S19・12/17日,佐世保からフィリピンに向かって空母【雲龍/ウンリュウ】に桜花,爆弾,
 車両,兵員(約1500人)を満載して出発したが、沖縄の宮古島北北西約426Kmで
 アメリカの潜水艦に雷撃され沈没した;
✤S20・3/21日11:20に海軍の第五航空艦隊は鹿屋基地から神雷部隊を出撃させた;
 発進3時間後の午後2:20頃,アメリカ機動部隊の約90Km手前でアメリカの艦載機に
 迎撃され,一機残らず撃ち落された;
 戦死者:桜花隊─15人,陸攻隊─135人,零戦パイロット─10人,計160人;
✤S20・4/12日,沖縄特攻・菊水2号作戦で第3神雷部隊は桜花を吊り下げた一式陸攻
 8機と供に出撃;土肥三郎中尉が乗った桜花が米の駆逐艦【マンナート・L・エーブル】に
 体当たりし撃沈させた;
✤はっきりと【桜花による撃沈】と確認されるのは,普通この日の1艦のみとされるが,
 桜花部隊の戦友会編纂の【海軍神雷部隊】によると【沈没3隻、損傷6隻】とある;

S19年11月末:【勤労動員】始まる;


日立市十王町漢方整体院

三国同盟の締結~学徒出陣

S16(1941)年
4/1日:野村吉三郎海軍大将が駐米日本大使として米に赴任;
4/22日:松岡洋右外務大臣三国同盟の締結と日ソ不可侵条約を持って帰国;

7/2日:第1次御前会議:【・・・本目的達成のため対米英戦を辞せず】;
7/17日:近衛文麿第2次内閣総辞職:(松岡洋右をクビにするため);
7/28日:南部仏印(ベトナム)上陸開始;

8/1日:米:石油の対日輸出の全面禁止を通告;

9/16日:第2次御前会議:
【中断していた日米交渉再開,10月上旬まで結果がなければ戦争だ】;
10/16日:陸・海相の不一致を理由に近衛文麿首相が辞表を提出;
10/18日:東条英機内閣発足;
10/19日:ハワイ作戦が正式に決定;
✤日本が対米7割の海軍兵力を保ちえるのはS16年12月末まで;
山本五十六:成功したら早いこと講和に持ち込み;惨敗したら戦争中止,切腹;

11/5日:第3次御前会議─太平洋戦争の開戦を決定つける会議となった;
11/25日:寺内寿一大将のち元帥が南方軍総司令官に任命される;総兵力39・6万人;
 第14軍:フィリピン(アメリカ領)攻略:
 司令官:本間雅春(のちBC級戦犯となってフィリピンで絞首刑になる);
 第15軍:タイ国(イギリス領)(ビルマも含む?)進駐:
 司令官:飯田祥二郎 → 牟田口廉也
 第16軍:イントネシア(オランタ領)攻略:
 司令官:今村 均
 第25軍:マレー半島(イギリス領)~シンガポール攻略:
 司令官:山下奉文(ともゆき):BC級戦犯としてマニラで絞首刑になる;
 参謀長:武藤 章:A級戦犯として絞首刑になる;
 海 軍
 ✤機動部隊:南雲忠一
 ✤第2艦隊:近藤信竹─南方作戦支援;
 ✤第3艦隊:高橋伊望─フィリピン攻略支援;
11/26日:ハル・ノート:【昭和6年の満州事変以前の日本に戻れ】;
11/29日:重臣会議(過去の総理大臣経験者);
 若槻礼次郎:【理想のため国を滅ぼしてはならない】;
 米内光政:【ジリ貧を避けてドカ貧になったらどうするか】;
12/1日:第4次御前会議:【交渉決裂、戦争を行うだけ】;
12/5日:ドイツ軍はモスクワまでわずか30kmまで攻め入っていたがソ連軍の猛烈な
     反撃を受けて退却を開始した;ドイツがソ連を倒す可能性はゼロになった;
S17(1942)年
6/5日:ミッドウェー海戦:(日本の空母四隻 : アメリカの空母三隻)
✤空母機動部隊(第1航空艦隊):
  司令官:南雲忠一
   参謀長:草鹿龍之介
✤米軍の奇襲を受けて日本の空母四隻(加賀,蒼龍,赤城,飛龍)が全滅し搭乗員の
  多数が戦死,日本軍にとっては想像もしなかった大敗;
✤アメリカ軍は空母一隻を失っただけ;
✤ミッドウェー海戦に負けるまでが日本の一番威勢がよかった時期;

8/8日:ガダルカナル島争奪戦:(8/8~12/31日)
第17軍:S17・5編成,終戦時:ブーゲンビル島ブイン;
司令官:百武晴吉/ヒャクタケハルヨシ(S17・5/5~S20・4/1)→神田正種(S20・4/1~終戦);
一木支隊一木清直(大佐),約2200人;
✤旭川第7師団:(第26連隊;第27連隊;第28連隊)の第28連隊の一個大隊;
川口支隊川口清健(旅団長,少佐),約5400人;
✤久留米第18師団の第35旅団司令部と第124連隊基幹;
✤124連隊:岡明之助,岡連隊ともいう,本部は福岡・博多;
第2師団:仙台第4連隊; 会津若松第29連隊; 新発田(山形とも)第16連隊;
      終戦時: 仏印・サイゴン;
第38師団:名古屋第228連隊; 岐阜第229連隊; 静岡第230連隊(東海林支隊);
佗美支隊佗美 浩少将;第18師団の歩兵第56連隊(久留米の郷土部隊);
12/31日:天皇からの撤退命令が降りる→S18・2・9 最後の兵隊無事撤退;

S18(1943)年
ニューギニアの戦い:(S17・3・7~S18~S20・8・15日)
✤17万人中生還したのは1万3000人ほど;
✤ラバウル:兵隊はすることなく【出来ないのは赤ちゃんだけであとは何でも作った】;
 米国:占領する必要なし─終戦まで戦争の外にいた;
第8方面軍:司令官:今村 均
第17軍
∴熊本第6師団;(ブーゲンビル);
∴独立混成第38旅団:(ブーゲンビル);
直轄部隊
∴姫路第17師団:(ラバウル);
∴名古屋第38師団:(ラバウル);
∴独立混成第39旅団:(ラバウル);
∴独立混成第49旅団:(ニューアイルランド島);
∴第65旅団:(ラバウル);
第18軍:司令官:安達二十三:のちラバウル収容所で自殺;
∴南海支隊:高知第144連隊;
∴第41連隊:広島県福山;
∴第20師団:関西,九州の各県から編成された元・朝鮮軍;
∴第41師団:水戸第237連隊; 高崎第238連隊; 宇都宮第239連隊;
∴第51師団:宇都宮第66連隊; 水戸第102連隊; 高崎第115連隊;
∴其の他:

い号作戦(4月初)
連合艦隊は海上決戦兵力である第3艦隊の空母─瑞鶴,瑞風,飛鷹などの艦載機を
ラバウルの陸上基地に集結させ一挙に連合軍の空海戦力を壊滅せんとした;
✤4/18日:山本長官は前線の航空部隊を激励すべく,一式陸攻に搭乗してラバウルから
  ブーゲンビル島ブイン基地に向かった;
✤途中米軍P38戦闘機18機によって撃墜され死亡し作戦は中止になる;
✤連合艦隊司令長官:古賀峯一;参謀長:福留 繁
  S19・3・31:パラオからフィリピンへ脱出を図ったが飛行機が墜落し,古賀峯一死亡,
  福留 繁ゲリラに逮捕されのち釈放される;
✤6/5日:日比谷公園内の斎場で山本五十六の国葬が行われた;

出陣学徒壮行会(10/21日)
明治神宮外苑で学徒出陣の式【出陣学徒壮行会】が行われた;
✤10/25~11/5日:徴兵検査し,約10万人余の学生が徴兵された;
✤12/1日:陸軍に入る出陣学徒が全国の部隊に入営;
✤12/9日:海軍に入る出陣学徒5520人が二等水兵として四つの海兵団に入団; 
【横須賀第2(武山)海兵団;佐世保第2(相浦)海兵団;大竹(呉)海兵団;舞鶴海兵団】


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徐州大会戦~終戦

徐州大会戦S13(1938)年5月;
中国側:司令官:李宗仁;60ヶ師団の約15万人;決戦を避けて,西南へ逃走;
日本側:南下する北支方面軍が主力となり,北上する中支那派遣軍が協同して実施;
北支那方面軍
司令官:寺内寿一
参謀長:岡部直三郎
第1軍
司令官:香月清司
参謀長:飯田祥三郎【のち15軍(タイ国進駐)司令官】;
∴宇都宮第14師団:(土肥原賢二);
∴京城第20師団:(川岸文三郎);
∴弘前第108師団:(下元熊弥);
  弘前,青森,秋田,山形; 終戦時:満州・錦県;
∴金沢第109師団:(山岡重厚);
  第1次編成:S12・8・24;留守第9師団の担当で編成,S14末に帰還,12月に廃止;
  第2次編成:S19・5 父島要塞守備隊を基幹に再編成され,大本営直属の小笠原兵団
        (栗林師団長兼務)の隷下;
∴其の他:
第2軍
司令官:西尾寿造
参謀長:鈴木率道
∴広島第5師団:(板垣征四郎);
∴姫路第10師団:(磯谷廉介);
∴其の他:
方面軍直轄兵団
∴京都第16師団:(中島今朝吾);
∴宇都宮第114師団:(末松茂治);
∴支那駐屯兵団:
  独立混成第3旅団:(佐々木到一);
  独立混成第4旅団:(河村 薫);
   独立混成第5旅団:(秦 雅尚);
∴臨時航空兵団:(徳川好敏);
  第1,第4飛行団司令部;
  偵察、戦闘、爆撃各隊;
上海派遣軍
司令官:畑 俊六
参謀長:河辺正三
∴名古屋第3師団:(藤田 進);
∴金   沢第9師団:(吉住良輔);
∴東   京第101師団:(伊東政喜);
∴熊   本第6師団:(稲葉四郎);
∴仙   台第13師団:(荻洲立兵);

✤S13・5・19:徐州城占領;
✤S13・5・25:徐州入式;

✤津浦鉄道(天津~南京)の南北打通に成功;
✤日本軍は徐州を占領したが,広大な戦線に兵力がすくなく,最初に企図した大包囲殲滅
  戦に失敗して決定的な打撃を敵に与えることが出来なかった;

武漢攻略戦:S13(1938)年、6月13日~10月27日;
✤武漢:
∴湖北省都,長江と漢水の合流点,重慶,南京と並び三大竈(カマド);
∴三国志の舞台;
∴日本軍は武漢進攻が力いっぱいの限度となって奥地進攻を打ち切った;
∴武漢攻略後の戦局は長期持久戦に移った;その後は新中央政府の育成に努めた;
∴結果的に見て武漢攻略戦の成果は重慶爆撃の基地を獲得しただけに止まった;
∴作戦の終末線:河南省・信陽~湖北省・徳安~湖南省・岳州(岳陽);
✤大本営陸軍部は武漢作戦の準備を含めて日本軍全般を整備した;
①北支那方面軍の第2軍(第10,第13,第16師団)は中支那派遣軍に入った;
②S13・7・4 第11軍が新設されて中支那派遣軍に入った;
第27師団(佐倉/東京とも):支那駐屯兵団の改編が第11軍に入った;
④新設の第15師団(豊橋/京都),第17師団(岡山/姫路),第22師団(仙台)が
  中支那派遣軍に入った;
中支那派遣軍
司令官:畑 俊六
参謀長:河辺正三(のちビルマ方面軍司令官)
第2軍
司令官:東久邇宮稔彦
参謀長:町尻量基
∴名古屋第3師団:(藤田 進);
∴姫路第10師団:(篠塚義勇);
∴仙台第13師団:(荻洲立兵);
∴京都第16師団:(中島今朝吾、のち藤江恵輔)
∴騎兵第4旅団:(小島吉蔵);
第11軍
司令官:岡村寧次
参謀長:吉本貞一
参謀副長:沼田多稼蔵
∴熊本第6師団:(稲葉四郎);
∴金沢第9師団:(吉住良輔);
∴佐倉第27師団:東京,甲府,佐倉; 終戦時:中国江西省・南昌市;
∴熊本第106師団:S13・5・15留守第6師団担当で編成;S15・3/9復員,4月に廃止;
∴台湾・岩波支隊:(岩波重一);
直轄兵団
∴京都第15師団:京都第51連隊;京都第60連隊;敦賀第67連隊;
                       終戦時:タイ・カンチャナブリ;
∴姫路第17師団:姫路,鳥取,岡山; 終戦時:ラバウル;
∴仙台第22師団:仙台,会津若松,山形; 終戦時:タイ・バンコク
∴久留米第18師団:(牛島貞雄);
∴京都第116師団:京都第109連隊;福知山第120連隊;津 第133連隊;
            終戦時:中国湖南省・衡陽市;
航空兵団
司令官:徳川好敏;
参謀長:寺木熊市;
∴第1飛行団:寺倉正三,
∴第3飛行団:菅原道大(のち第6航空軍指令官),
∴第4飛行団:藤田 明
那方面艦隊:旗艦【出雲】;司令長官:及川古志郎

✤6/13日:安慶城;
✤7/26日:九 江:①景徳鎮の磁器の輸出港;②盧山:1500~1600mの秀峰が80余も
       南北40kmに連なっている,山中には800余の寺院と別荘も多い;
✤9/29日:田家鎮(武漢三鎮の関門)─第6師団の今村支隊;
✤10/21日:第21軍が広東占領;
✤10/24日:黄陂県城;
✤10/25日:漢 口(イタリア領事館,フランス領事館);
✤10/26日:武 昌(白菜の名産地);
✤10/27日:漢 陽(無血占領);
✤11/3日:明治節(現・文化の日)に入城式;
✤12/9日:第2軍司令部は内地帰還となり,隷下・指揮下の各部隊は第11軍に編入;

第21軍〈波集団〉(のち第23軍):9/16日に編成終了;
司令官:古荘幹郎
参謀長:田中久一
∴広島第5師団:(安藤利吉);
∴久留米第18師団:(久納誠一);
∴大阪第104師団:大阪第108連隊,大阪第137連隊,和歌山第161連隊;
            終戦時:中国広東海豊
∴直 轄:
 野戦重砲兵第1旅団:(西村琢磨)
 山砲兵2ヶ連隊;
 第4飛行団:(藤田 明);
 飛行第64,31戦隊;
 第5艦隊:旗艦【妙高】司令官:塩沢幸一

香港攻略:S16(1941)年12/8~12/25日;
第23軍:広東に司令部を置く南支軍,元・第21軍;
司令官:今村 均(S16・11・6南方作戦のため第16軍司令官になる;)
     酒井 隆:元・留守近衛師団司令官;S16・11・15日,今村 均の後任;
参謀長:栗林忠道(のち小笠原兵団司令官兼第109師団司令官;硫黄島の戦い);
主力兵:第38師団─S14(1939)年6/30日,名古屋第3師団管区で臨時編成;
司令官:佐野忠義
参謀長:阿部芳光
名古屋第228連隊;岐   阜第229連隊;(豊橋第229連隊とも);
静   岡第230連隊;(東海林部隊の230連隊とも);
ガダルカナル島の戦いに参加;終戦時:ニューブリテン島ラバウル

✤12/13日:九龍半島
✤12/25日:香港
✤12/28日:入城式,磯谷廉介中将が香港総督に任命された;

重慶占領計画
✤S16(1941)年11月下旬:支那派遣軍総司令部(南京)で各軍司令官の会同が開かれた;
畑 俊六:支那派遣軍総司令官;
岡村寧次:北支那方面軍司令官;
      【10ヶ師団を持って西安を占領して南下し秦嶺山脈を突破し重慶へ進攻する】
阿南惟幾:中支那武漢第11軍司令官;
      【そんな兵力があれば第11軍は長江をさかのぼって重慶を占領する】
✤S17(1942)年9月4日:杉本 元参謀総長が5号作戦お準備を命令した;
✤S17(1942)年8/8~12/31日:ガダルカナル島争奪戦;
 支那派遣軍から重慶進攻の主力兵団の弘前第36師団のほか各師団があいついて
 南方に転用される;
 第36師団:弘前第222連隊;(ビアク島で玉砕);秋田第223連隊;秋田第224連隊;
        終戦時:ニューギニア・サルミ;
✤S17(1942)年12月10日:大本営5号作戦の中止を命令;
✤12月17日:畑 俊六総司令官が各軍司令官を南京に集めて重慶進攻中止を下達;

一号作戦(大陸縦貫作戦,日本の戦史上空前の大作戦):S19(1944)年4/17~12/10;
立案者:参謀本部第1部第2課長:服部卓四郎(大佐);
目 的
①大陸沿線の在支米軍基地を潰滅して対日空襲を防止する;
②大陸戦線を縦貫して打貫しベトナムの南方軍との間に交通線を確保する;
 【釜山~奉天~北京~漢口~衡陽~桂林~柳州~南寧~諒山~ハノイ~バンコク~
  シンガポール】を結ぶ延長7944kmの鉄道を建設する;
✤コ号作戦:京漢作戦;  ト号作戦:湘桂作戦;  サ号作戦:南方軍の怒江正面の作戦;
太平洋の戦局
①S19・2:カロリン群島のトラック島が米軍に空襲され,本土絶対防圏の一角が崩れた;
 参謀総長の杉山 元が更迭され陸相・総理大臣の東条英機が兼任する;
 軍令部総長の永野修身が更迭され海相の嶋田繁太郎が兼任す;
②S19・6・15:米軍サイパン上陸開始したちまちに占領する;
③S19・6・16:北九州が成都から発進したB29の第1回爆撃を受ける;
④S19・6・19:連合艦隊が総力を上げてマリアナ諸島の決戦に出る;
一号作戦の主要兵団
武漢中支の第11軍:司令官:横山 勇
∴名古屋第3師団:(山本三男);
∴仙台第13師団:(赤鹿 理);
∴京都第116師団:
∴大阪第34師団:大阪第216連隊;大阪第217連隊;和歌山第218連隊;
           終戦時:中国江西省・九江市;
∴善通寺第40師団:丸亀第234連隊;徳島第235連隊;高知第236連隊;
           終戦時:中国江西省・南昌市;
∴熊本第58師団:独立混成第18旅団を改編して中国湖北省漢口で編成;
           終戦時:中国広西省・全県市;
∴大阪第68師団:独立混成第14旅団を改編して中国江西省九江で編成;
           終戦時:中国・衡州(華中・常寧);
北支の方面軍第12軍:司令官:岡村寧次
∴熊本第37師団:熊本第225連隊; 都城第226連隊; 鹿児島第227連隊;
           終戦時:終戦時:タイ・バンコク;
∴京都第62師団:独混第4旅団と独混第6旅団の一部を改変し中国山西省・太原で編成;
           終戦時:沖縄;
∴京成第20師団:
∴宇都宮第63師団:
∴戦車第3師団:
∴独立混成旅団4個;
∴騎兵旅団1個;
南支広東の第23軍:司令官:酒井 隆
∴仙台第22師団:(平田正判);
∴宇都宮第14師団:
∴独立混成第22旅団:
∴独立混成第23旅団:(下河辺 憲二);
上海第13軍
∴広島第70師団:独立混成第20旅団を基幹に編成; 終戦時:中国浙江省・嘉興;
第5航空軍:第2飛行団:

✤S19年4/17~5/25:京漢作戦:古都洛陽を占領して作戦終了;
  6/15日:サイパン奪われる;
✤6/18日:湖南省都長沙占領;
✤6/26日:衡陽の飛行場占領;
✤8/8日:衡陽城占領;【7月中旬占領の予定が二旬も遅れた】;
  桂林攻略のため第6方面軍を新設:
  司令官:岡村寧次  参謀長:宮崎周一
   ∴中支第11軍:(横山 勇);
  ∴南支第23軍:(酒井 隆);
✤11/10日:桂林城占領,柳州城占領,これをもって湘桂作戦(ト号作戦)終了;
✤11/22日:司令官級の更迭;
 畑 俊六:支那派遣軍総司令官→教育総監に昇進;
 岡村寧次:第6方面軍の司令官→支那派遣軍総司令官に昇進;
 岡部直三郎:北支那方面軍司令官→第6方面軍司令官に昇進;
 下村 定:西部軍司令官→北支那方面軍司令官に昇進;
 横山 勇:中支第11軍司令官→西部軍司令官に昇進;
✤11/24日:南寧占領;
✤12/10日:中国とベトナム ルートを打通しこれをもって一号作戦終了;
①時すでに遅く米英国の反攻でベトナムと南方地域との交通は杜絶し南方の物資を送る
  どころではなくなった;
②大陸縦断戦は成功したが今となっては単に一部兵力の一時的行軍ルートに利用する
  にすぎなかった;
③一号作戦で大陸沿岸の基地を失った米空軍は湖北省老河口と湖南省芷江から日本軍
  占領地の攻撃を開始;
✤S20・3・27:老河口占領;

芷江攻略作戦:S20年4/15~5/9日;
芷江
①衡陽の西方300kmの湖南省の要地で重慶まで直線距離400kmの重慶の玄関口;
②日本軍降伏時の予備会談が行われた場所;
中国側
∴汤恩伯─米式装備,10ヶ師団;
∴薜bi 岳─第九戦区,31ヶ師団;
∴孫連仲─第六戦区,26ヶ師団;
日本側
第6方面軍から芷江攻略命令を受けたのは第20軍
司令官:坂西一郎
参謀長:川目太郎
∴京都第116師団:(菱田元四郎);
∴弘前第47師団:秋田第91連隊,秋田第105連隊,弘前第131連隊;
           終戦時:山東省・济南市;
∴独立歩兵第58旅団:弘前第47師団から6ヶ大隊を抽出して結成された部隊;
∴山砲3ヶ大隊:
結果
✤作戦目的をはたせないうちに惨敗して作戦中止(S20・5・9)となった;
✤日中戦争最後の芷江作戦はビルマのインパール作戦同様に惨憺なる敗戦たった;

中国からの引き上げ
✤最も困難を予想された満州,中国からの引き上げは,日本敗戦直後,蒋介石総統が
  ラジオを通じて【既往をとかめず,徳をもって怨みに報いよ】と布告し,S21・4から中国
  側の好意的な措置によって円滑に進んだ;
✤S21,S22年がピークだったが,最後に業務を閉じたのはS33年のことである;
✤中国の山西省では支那派遣軍第1軍の約1・5万人が当地の軍閥軍阎锡山の軍隊として
  再編され,約4年間中国共産党と戦ったので帰国が遅れた;


日立市十王町漢方整体院

盧溝橋事変~上海作戦

盧溝橋事变:S12(1937)年7月7日;
天津駐屯の第1旅団第1連隊第3大隊
✤旅団長:河辺正三
✤連隊長:牟田口廉也
✤大隊長:一木清直イチキキヨナオ

盧溝橋事件後の政府と軍
総理大臣:近衛文麿
陸軍大臣:杉山 元 →S13(1938)年5/26から板垣征四郎
陸軍次官:梅津美次郎 →東条英機
海軍大臣:米内光政
外務大臣:広田弘毅 →S13(1938)年5/26から宇垣一成 →9/30から近衛文麿兼任;
参謀総長:閑院宮
参謀次官:多田 駿
軍令部総長:伏見宮

陸軍省,軍務局,軍務課長:柴山 兼四郎
陸軍省,軍務局,軍事課長:田中 新一

参謀本部
第1部長:石原莞爾→S12(1937)年9/28下村 定→S13(1938)年1/11橋本 群/グン】;
第1部第2課長:河辺 虎四郎
第1部第3課長:武藤 章

関東軍
司令官:植田謙吉
参謀長:東条英機
参謀副長:今村 均(ヒトシ/のちラバウル第8方面軍;)

支那駐屯軍
司令官:香月清司(カツキ キヨシ)
参謀長:橋本 群

朝鮮軍
司令官:小磯国昭

中国共産党軍:S12(1937)年8/22;
✤八路軍:(北支4.5万人),第2戦区の指揮下に入る;
 総指揮:朱 徳
 副総指揮:彭懐
 政治委員:朱恩来
✤新四軍:(1万余人)揚子江以南,第3戦区の指揮下に入る;
 軍 長:叶 挺
 副军长:项 英

北支戦場の拡大
盧溝橋事変後,蒋介石が中央軍4個師団を河北省の石家荘付近に北上させる命令を
出したとの情報があった;
✤石原莞爾:【戦闘完了次第即時撤退】の条件付きで派兵を承認した;
∴関東軍から2ヶ旅団;
∴朝鮮軍から第20師団;
∴作戦区域:【河北省保定~独流鎮〈天津南26km〉】の線の以北;
∴結果北平,天津地区掃討戦は同年7月末に完了,引き続き河北省の平定作戦が開始;
✤7/27日:内地から広島第5師団,熊本第6師団,姫路第10師団の増派令が下りた;
✤8/9日:満州国熱河省両側の内モンゴルのチャハル進攻作戦の実施を命じた;
 石原莞爾は反対したが武藤 章東条英機は強硬に実施を主張した;
 結果:戦火はチャハルから西の綏遠,山西省にまで拡大した;
第20師団:朝鮮の평양,룡산,などに駐屯する歩兵連隊で,関西,九州の各県から
  徴集された,第78連隊,第79連隊,第80連隊,終戦時:東部ニューギニア;
第5師団:広島,山口,浜田─終戦時:セラム島・ピル;
第10師団:姫路,岡山,鳥取,松江─終戦時:ルソン島・ビナパガン;
✤8/31日:支那駐屯軍を改組して北支那方面軍司令部を新設,その下に第1軍,第2軍の
  二個軍司令部を新設して8ヶ師団を指揮する;
北支那方面軍:(8ヶ師団、飛行機約150機)
司令官:寺内寿一(のち南方軍総司令官)
参謀長:岡部直三郎
方面軍直轄
広島第5師団:(板垣征四郎);
金沢第109師団:(山岡重厚);
支那駐屯軍混成旅団:(山下奉文/トモユキ S19・10 マニラ第14方面軍司令官に);
臨時航空兵団:(徳川好敏);
第1軍:平漢沿線(北平~漢口);
司令官:香月清司
参謀長:橋本 群
熊本第6師団:(谷 寿夫);
宇都宮第14師団:(土肥原賢二);
朝鮮第20師団:(川岸文三郎);
其の他
第2軍:津浦沿線(天津~南京);
司令官:西尾寿造
参謀長:鈴木率道
姫路第10師団:(磯谷廉介 S16・12・28に香港総督に任命);
京都第16師団:(中島今朝吾);
弘前第108師団:(下元熊弥);
其の他
✤S12・10・20:第1軍の第6師団と国崎支隊が上海へ転戦命令を受ける;
✤S12・10・30:第2軍の第16師団が上海へ転戦命令を受ける;
第16師団:京都第9連隊,福知山第20連隊,津 第33連隊;終戦時:レティ島(守備隊);

第2次上海事変:S12(1937)年8/9(盧溝橋事変から34日目);
✤S12・7・28:外務省は揚子江上流の日本居留民2万9230人に引き揚げを勧告した;
✤S12・8上旬:日本海軍の艦艇で上海へ運んだ(現地保護の方針であった);
✤S12・8・7:米内光政海相は杉山 元陸相に【陸軍派遣を閣議で決定するよう】に申し
  入れたが杉山は戦局が中支に拡大するのを恐れて閣議に上程しなかった;
✤S12・8・9:上海の日本海軍特別陸戦隊西部派遣隊長の大山勇夫中尉と斉藤与蔵一等
  水兵運転の海軍乗用車が上海西方8kmの虹橋飛行場付近の路上を走行中に保安隊
  と称する中国軍に射殺された;
✤S12・8・14:上海派遣の名古屋第3師団;善通寺第11師団;北支派遣の宇都宮第14師
  団に動員令が降りた;
第3師団:名古屋第6連隊;岐阜第68連隊;静岡34連隊;終戦時:中国江蘇省鎮江市;
✤S12・8・15:日本帝国政府声明を発表:【暴支膺懲、南京政府の反省を促す】;
✤S12・8・15:(同日)上海派遣軍司令部が新設:
司令官:松井石根
参謀長:飯沼 守
名古屋第3師団:(藤田 進);
善通寺第11師団:(山室宗武);

上海作戦:S12(1937)年8/23~11/9日;
✤8/23:第11師団:川沙鎮付近に上陸;第3師団:呉淞鉄道桟橋付近に強行上陸;
✤8/31:苦戦で全滅の危機に堕ちって松井石根司令官三個師団の増援を要求;
✤9/6:伏見宮軍令部総長が天皇に陸軍増派の意見を具申,閑院宮参謀総長も同意;
✤9/7:北支方面軍から後備歩兵10ヶ大隊,砲,工部隊;
✤9/9:台湾守備隊から重藤支隊:(重藤千秋,台湾軍5ヶ大隊);
金沢第9師団:(吉住良輔);
仙台第13師団:仙台;会津若松;新潟新発田─終戦時:中国湖南省長沙市;
久留米第18師団終戦時:ビルマ・チャイト;
  久留米第56連隊;長崎県大村第55連隊;福岡第114連隊;
野戦重砲兵第5旅団
野戦重砲兵第15旅団
東京101師団:東京,甲府,佐倉─S12・9・1に編成;
  S14・11・7 復員;翌年S15・2・25廃止;
台湾の第3飛行団
✤10・12:下村 定新作戦部長が今後の作戦方針を決定:
 主戦場は北支から上海方面に転換,北支からかなりの兵力が上海線に転用される;
✤10・20:新たに第10軍を編成─杭州湾上陸─任務:上海付近の日本居留民の保護;
司令官:柳川平助
参謀長:田辺盛武
熊   本第6師団:(谷 寿夫);
久留米第18師団:(牛島貞雄);
宇都宮第114師団:宇都宮,水戸,高崎,松本;終戦時:中国山西省臨汾市;
✤10・30:北支那第2軍から京都16師団と重藤支隊を上海派遣軍に入れる;
✤11・7:中支那方面軍司令部が新設される;
司令官:松井石根
参謀長:塚田 攻
上海派遣軍:(松井石根 大将が兼任);
第10軍:(柳川平助);
✤S12・11・19:第2次上海事変一段落した;【常熱~蘇州~嘉興】;
✤S12・11・20:大本営が設置され,日本は戦時国家になる;

南京作戦:S12(1937)年11/19~12/13日;
✤11・19:第10軍司令官柳川平助が独断で南京進撃を命令する;
✤11・20:下村 定作戦部長が中支那方面軍参謀長あてに多田 駿参謀次長の制令線
  からの後退命令を打電した;
✤11・22:【事変早期解決のため,敵の退勢に乗じて南京を攻略する必要あり,方面軍は
  現有兵力で2か月以内に目的達成できる見込み】と中央の方針無視;
✤11/24日:湖州占領(第10軍:第6・18・114師団);
✤11/25日:無錫占領(第9師団,第11師団);
✤12/1日:大陸令(大本営陸軍部命令)8号:
  【中支方面軍は海軍と協同して敵国首都南京を攻略すべし】;
✤12/9日:降伏勧告,回答期限12/10日正午まで;
✤12/10日:南京城攻撃命令;
✤12/13日:南京城陥落;
✤12/24日:杭州無血占領,第10軍司令部が置かれる;

国民党
✤大本営の幕僚会議:
何应钦:無言;
白崇禧:放棄南京城;(陳誠と共に上海防衛戦に敗れた);
唐生智:元・軍事委員会執行部主任:死守南京城─南京防衛軍総指揮官;48歳;
✤12/11日:午後,顾祝同が電話で蒋介石の撤退命令を伝える;
✤12/12日:夕方,唐生智総撤退を命令する;
唐生智
✤漢口で蒋介石に敗戦を報告,処分無し;
✤父の病気を理由に湖南省東安に帰郷;
✤新中国成立後湖南省副省長,全人代表となり,1970年81歳で没;

平型関の戦闘:S12(1937)年9/25;
✤平型関:山西省北部の関門:(原平~霊丘);
✤中国側:八路軍(のち第18集団軍)の第105師団(師団長:林彪 30歳);
✤日本側:広島第5師団(板垣征四郎)第21旅団の第6兵站自動車隊;
              浜田歩兵第21連隊の輸送隊;
台児荘の戦役:S13(1938)年3/27;
✤台児荘:山東省の最南端にある煉瓦の城壁をめぐらした古い城市;
✤中国側:孫連仲の中央軍3ヶ師団;
✤日本側:広島第5師団(板垣征四郎)の第21旅団(坂本 順);
       姫路第10師団(磯谷廉介)の第33旅団(瀬谷 啓);
✤台児荘攻略の両支隊がそれぞれ別個の師団長に指揮されたことによる通信連絡上の
  不備があり,上級の軍(第2軍)司令部の作戦ミスである;
✤台児荘の激戦は徐州会戦の前哨戦であり;徐州会戦は武漢攻略の序幕であった;

汪精卫(汪兆铭):
✤S15(1940)・3・30:南京政府発足;
✤S18(1943)・12:南京の日本陸軍病院で子弾摘出手術を受ける;
✤S19(1944)・3・3:名古屋帝大医学部付属病院に入院;
✤S19(1944)・11・10:多発生骨髄腫により死去;
陳公博:汪兆铭の後任?
✤日本降伏後,蒋介石によって漢奸として死刑になった;


日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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