長屋王の変

養老4(720)年8月3日、右大臣藤原不比等が左京の私邸で没した、享年62歳。
長男武智麻呂:父の葬儀当時41歳、式部卿で東宮傅を兼ねていた。
次男房前:40歳、3年前に兄に先んじて参議となっていた。
三男宇合:27歳、常陸国守、安房・上総・下総3国の按察使。
 霊亀2(716年)に遣唐副使に任ぜられ、一昨年冬に帰国した。
四男麻呂:26歳、美濃国の次官などを勤めて縦五位下になっていた。

 翌4日、舎人親王が知太政官事に、新田部親王が知五衛及授刀舎人事に任命された。

 10月23日(不比等の死後80日)、大納言・長屋王と中納言・大伴旅人は故右大臣家に
 派遣され、太政大臣正一位を贈るという勅命を霊前に伝えた。
 贈官ではあるが、大宝令実行後最初の太政大臣である。

養老5(721)年1月5日、長屋王が右大臣、武智麻呂が参議を経ずに中納言となった。
 ✤公卿の構成:
       右大臣:長屋王。
       大納言:多治比池守(さきの造平城京司長官)。
       中納言:巨勢邑治(大宝の遣唐副使)、大伴旅人、藤原武智麻呂。
       参議:藤原房前。
 1月23日、橘佐為・紀男人・山上憶良ら16人が東宮侍講に選ばれた。
 10月、藤原房前が内臣に任ぜられた。
 12月、元明前女帝が享年61歳で病没した。

養老6(722)年正月、新任参議の多治比三宅麻呂が誣告の罪で伊豆へ、
            式部大輔・穂積老が不敬の罪で佐渡へ流罪となった。

神亀元(724)年2月4日、皇太子首皇子(24歳)が即位し、聖武天皇となった。
 即位にともなう叙位任官で、長屋王は正二位左大臣となった。
 正三位大納言:多治比池守は益封50戸を賜わった。
 中納言:巨勢邑治、大伴旅人、藤原武智麻呂らは正三位に昇進。
 参議(兼内臣):藤原房前は従三位から正三位に昇進。
 参議:阿倍広庭(武智麻呂の妻の伯父)は正四位上から従三位に昇進。

 6月6日、中納言巨勢邑治が病没した。

神亀4(727)年閏9月末、聖武天皇と光明子夫人との間に基親王が生まれた。
 10月6日年、阿倍広庭が中納言に任ぜられた。

神亀5(728)年頃、大伴旅人は大宰帥として大宰府に赴任させられた。
 8月、中衛府が設置され、房前が初代大将に就任した。
 9月、満一歳の誕生を迎える直前に基親王が病死した。

神亀6(729)年2月10日、従七位下塗部君足(系詳ならず)と無位中臣宮処東人
 「左大臣は天皇家の御命を縮めようと呪っております。皇太子が亡くなったのも、
 そのためです」と密告した。
 その夜、勅命によって伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発の三関の警備を固める
 とともに、式部卿藤原宇賀をはじめ、衛門府・左右衛士府の次官らが率いる大部隊は
 長屋王の邸を包囲した。

 翌11日、知太政官事舎人親王・知五衛事新田部親王・大納言多治比池守・中納言藤原
 武智麻呂らは長屋王の邸に入り、罪を糾問した。

 翌12日、長屋王とその子膳夫王・桑田王・葛木王・鉤取王は自経させれた。
 吉備内親王は夫と子のあとを追って首をくくって自殺した。
 邸内の者たちも(97人)すべて衛府に禁固された。

長屋王 

17日、従五位下上毛野宿禰麻呂系図不明)ら七人が流罪となり、他は皆放免された。
18日、鈴鹿王に勅を下し、弟妹子孫及び妾などもすべて赦す。
21日、密告者の君足と東人に、外従五位下が授けられた。

8月5日、「天平」と改元し、8月10日、藤原夫人光明子の立后宣下があった。

藤原不比等と元明天皇の死後開始された政権をめぐる暗闘は、光明子の立后に
猛反対した長屋王の自経と光明子の立后で終わりを告げた。

天平10(738)年秋、左兵庫少属従八位下大伴子虫は、勤務の余暇に右兵庫頭外従五位下
中臣宮処東人と囲碁をしていたが、話がたまたま10年前の長屋王の事件に及んだ時、
子虫は勃然として怒を発し、東人を面罵したが、ついに剣を抜いて東人を斬殺した。
子虫はかつて長屋王に仕え、すこぶる恩遇を蒙った者であった。
奈良大仏は長屋王を筆頭とする怨霊封じを主目的に造られた。
 

注:
養老5(721)年正月、首皇子(のち聖武天皇)21歳。
東宮学士
正七位上調忌寸古麻呂:明経博士。中国系渡来氏族で、調老人の一族思われる。

東宮侍講
従五位上橘佐為:葛城王(橘諸兄)の

従五位下伊部王:系詳なず。

正五紀朝臣男人

正五日下部宿禰老
 日下部氏は、開化天皇の皇子、彦坐主王の後裔で、但馬国造家の後裔である。
 開化天皇→彦坐主王→若筒木王→船穂足尼・・・・日下部表米→荒島→→大継→

従五位上山田史三方:名は「御方」、「御形」ともされる。
 朝鮮系渡来氏族と思われるが、系図不明。
 文章の大家、【藤氏家伝】藤原武智麻呂伝にも「文雅」として名を列している。

従五位下山上憶良:名は「山於億良」とも記され、時62歳。
 和珥・春日氏の一族で、大和国添上郡山辺郷の地名に由来するとされる。

従五朝来直賀須夜
 朝来直:天火明命の四世孫・天礪目命(天戸目命)之後也。

従五紀朝臣清人
 文章の大家、【藤氏家伝】藤原武智麻呂伝にも「文雅」として名を列している。

正六位上越智直広江:明経士。
 越智氏:伊予国越智郡の豪族。
 孝霊天皇→伊予皇子→越智皇子・・・・越智益躬→武男→広江→飛鳥麻呂→

正六位上船連大魚:船連氏は百済系渡来族。
 (16代百済国王)辰斯王→辰孫王→・・・塩君→船王辰爾→・・・・

正六位上山口忌寸田主:算家。
 中国系渡来氏族・東漢氏の一支族で、姓は「伊美伎」とも書く。

正六位下楽浪河内:氏姓は楽浪(無姓)のち丘連。
 天智2年(663年/白村江の戦い)に百済より帰化した沙門・詠の子。
 文章の大家、【藤氏家伝】にも「文雅」として名を列している、のちに大学頭。

従六位下大宅朝臣兼麻呂和邇・春日氏の一
 一族に推古朝の新羅遠征副将軍・大宅軍、摂津守・大宅大国らがいる。

正七土師宿禰百村

従七位下塩屋連吉麻呂:明法博士、葛城氏の一族で、は「吉麻呂」とも書く。
 明法博士、判事、大学頭などを歴任。

従七位下刀利宣令:百済系渡来氏族で、は「土理」、「刀理」とも書く。
 


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愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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