大宝律令

大宝元(701)年3月21日:藤原宮の朝堂院で、律令公布の式典が盛大に挙行された。
翌4月7日から、官人達に対する新令の講義が始まり、官人は三つの組に分けられた。
第一の組:天智・天武両天皇の皇子を主とする諸親王。
第二の組:皇族・貴族一般。
第三の組:六位以下の下級官人。
鍛大角下毛野古麻呂道首名らが講義に派遣された。
【続紀】には「親王・諸臣・百官人ら、就きてこれを習う」とある。

大宝律令は刑部親王(総裁)と藤原不比等(副総裁)を中心に19人によって編纂された。
刑部親王武天皇の皇子で、忍壁皇子、忍坂部皇子とも記される。

藤原不比等鎌足の次男、当時中納言で42歳。
 大宝元(701)年、文武の嫡皇子・首皇子と光明子が生まれた。

粟田真人:民部尚書、律令の民部卿にあたる。
 【旧唐書】には「好く経史を読み、属文を解す。容止温雅なり」とある。
 粟田氏は和珥氏・春日氏の後裔氏族で山背国に本拠を持つ一族

山城国の豪族  

下毛野古麻呂:大政官の右弁官局の官。
 下毛野氏下野国の国造系豪族に由来する氏族。

伊吉連博徳:斉明5(659)年に第四次遣唐使に随行した経験のある官人。
 5年前(持統8年─694年)には、遣新羅副使に任命された。
 壱伎氏(伊岐氏)は、中国系渡来氏族。

伊余部連馬養:軽皇子(後の文武天皇)の皇太子士。
 伊与部氏は尾張氏の一族で、天火明命の流れを汲む少神積命の後裔とする。
 天火明命→天香山命→・・・→天戸目命→建斗米命→・・・→伊余部馬養→頴麻呂→

調老人:姓は美伎(忌寸)、中国系渡来氏族、当時は大学頭。
 伊余部馬養と共に10年ほど前の持統3年(689年)、【善言】という古今東西の歴史物語を
 題材にした美談集の編纂に従事したことがある。

薩弘格:唐人で、時は音博士。

土部甥:古来豪族・土師氏の一族、姓は宿禰、子孫は菅原氏を称した。
 学問の神様・菅原道真は土部甥の玄孫にあたる。
 天智朝から天武朝にかけて10余年も唐に留学し、天武13年に帰国。

白猪史骨:百済経渡来人氏族の出身で、は「宝然】とも書く。
 天智朝から天武朝にかけて10余年も唐に留学し、天武13年に帰国。
 (16代)辰斯王→辰孫王→5代略→白猪胆津→己津→宝然→葛井道麻呂→
 「史」は大和朝廷で文筆や記録を職とした官職名、のち姓となる。

黄文連備:民部省主税寮長官─主税頭。
 黄文氏は、高句麗系渡来人を祖にする氏族。
 氏は「黄書」とも書き、黄書大伴は同族と思われる。

田辺史百枝:当は大学博士。
 田辺氏は百済系渡来人を祖にする氏族、河内国安宿郡田辺発祥。
 一族に藤原不比等を養育した大隅、大宝律令の撰定に従事した首名らがいる。
 百枝と首名は大隅の息子か甥かであったと思われる。

鍛造大角:当は大学博士、名は「大隅」とも書く。
 神亀5(728)年、守部連の氏姓を与えられた。
 天火明命→天香山命→・・・→天忍男命→瀛津世襲命→・・・→守部大隅→諸足→

道君首名:19名のうち、一律令を専修していたとされる、系図は不明。
 和銅6(713)年、筑後守に任ぜられ、肥後守も兼任した。
 道氏は北陸地方の豪族で、大彦命の孫・屋主田心命の後裔とし阿倍氏の一族を称した。
 天智天皇の夫人・道君伊羅都売は同族と思われる。

坂合部唐:古来豪族、は宿禰、氏は「境部」とも書く、系図は不明。
 阿倍朝臣と同祖、大彦命の後と称する。以下は同族と思われる。
 坂合部石積:第2回遣唐使(白雉4/653~白雉5)年、留学生として唐に渡る。
       第5回遣唐使(天智4/665年~天智6年)に随行。名は磐積とも書く。
 坂合部石布:第4回遣唐使(斉明5/659年~斉明7年)大使。名は「石敷、磐鍬」とも書く。
 坂合部稲積:第4回遣唐使に随行。
 坂合部大分:第8回遣唐使(大宝2/702年~慶雲元年)、副使。 

狭井尺麻呂石上朝臣祖、神饒速日命の後裔、系図は不明。
 姓は宿禰、氏は「佐為」とも記される。
 同族・狭井連麻呂の娘(米頭羅古娘)は中臣可多能祜嫁し糠手子を産んだという。

額田林:額田部連氏は天津日子根命の子孫とする。系図は不明。
 天津日子根命→天戸間見命→・・・→額田部連氏→

田辺史首名田辺百枝の一族、系図不明。

山口大麻呂東漢氏の一支族で、は伊美伎(忌寸)。
 後に養老5(721)年、皇太子の教育係の一人・山口田主は一族。

宝律令官制
大宝令官制  

畿七道図
五畿七道図


                日本の歴史

プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
Fcカウンター
QRコード
QR