大津皇子の変

天武10(681)年2月、草壁皇子(20歳)が太子に立てられた。
皇后所生の長子に位を譲るのが何と言っても順当である。
草壁皇子の性格や才能については史料がほとんど無くてよくわからないが、
一つ年下の大津皇子ほうが才能・人望共に草壁を越えていたようだ。
大田皇女は皇后の姉にあたり、大津皇子がまだ5歳頃の時に死んだ。

天武天皇-2   

「懐風藻」にある大津皇子の伝には
「状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。
壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ」とある。
凛々しい上に学問に優れ、また武を愛して剣を得意とした、というのである
「書紀」にも同じ趣旨の讃辞が述べられており、
「詩賦の興るは大津より始まれり」とまでいっている。
かなりの人物と認められていたようである。

鸕野皇女にとっては枕を高くして寝れない存在であった。
夫の天武は自ら反乱を起して、異母弟の大友皇子を倒して政権を握ったのではないか。
草壁の即位を実現させるためには、もっとも障害になるものを取り除くほかない。
皇后は壬申の乱にも天武天皇と行動をともにして苦楽をわかちあっており、
父天智天皇の血をうけて生まれながらに政治家の素質を備えていたようである。

天武14(685)年9月、天武天皇は病いの床についた。
天武15(686)年に入ると天皇の病気は一時回復したが、5月から再び病いにふした。
7月15日、天皇は詔して、
「天下の事は大小を問わず、悉く皇后及び皇太子に啓せ」といった。
同じ月、年号を朱鳥と改めた。
朱鳥元年9月9日、天武天皇は飛鳥浄御原宮の正殿で病没した。

天皇の死の前後、大津皇子は姉の大伯皇女に会いに「竊かに伊勢の神宮に下った」とされる。
大伯皇女は天武3(674)年以来、12年間斎宮(初代)として伊勢にいる。
天皇の危篤や死という大事な時に、皇太子に次ぐ身分の人が、都を出て、
しかも反乱の策源地となることの多い東国に行くことは、理由のいかんを問わず
普通には許されないことである。
それを敢えて犯したのであるから、この時に大津皇子は何らかの重大な決意を
心に秘めていたと思われる。
その決意が何であったか、今になっては知るすべがない。

壬申の乱の時、伊勢神宮は天武側について、加護した。
「行く鳥の 争ふはしに 渡会の斎宮ゆ 神風に 伊吹きまどはし」

天皇の死後わずか1ヶ月も経たない10月2日、「書記」によれば、
にわかに大津皇子の謀反が発覚し、皇子と八口朝臣音橿壱伎連博徳
大舎人中臣朝臣清麻呂巨勢朝臣多益須及び新羅の沙門行心(幸甚)、
帳内礪杵道作ら30余人が捕らえられた。
翌3日、早くも皇子は訳語田(磐余の付近)で死刑に処せられた。享年24歳。
なお、逮捕のきっかけを作った告白者は、大津皇子の親友であった川島皇子であったという。

まもなく大伯皇女が伊勢神宮より都へ召し返されたが、すでに万事は終わっていた。
二上山の雄岳山頂から、少しだけ雌岳側へ下ったところに皇子の墓がある。
大津皇子墓
なお、共謀者として逮捕された30余人の内、道作と行心以外はすべて赦免された。

持統2(688)年11月11日、長い殯宮の儀が終わり、天武天皇が大内陵に葬られた。
持統3(689)年2月には、竹田王土師宿禰根麻呂など9人が判事に起用された。
その多くは少壮の貴族達で、若い草壁皇子が政治を始める準備かと思われる。
中臣朝臣麻呂巨勢多益須藤原不比等らと共に判事に任ぜられた。

ところが皇太子は期待を裏切って4月13日に急逝した。28歳であった。
子の軽皇子(後の文武天皇)はわずか7歳で、皇位をつぐにはあまりに幼少である。

持統4(690)年正月、群臣列座のなかで、物部朝臣(石上)麻呂が大盾をたて、
中臣朝臣大島が寿詞を読み、忌部宿禰色夫知がしるしの剣と鏡とを献じて、
皇后は正式に天皇となった、持統天皇である。
高市皇子が太政大臣、丹比真人嶋が右大臣に任ぜられた。


注:
八口朝臣音橿:蘇我氏の同族、(稲目宿禰の後なり)。

壱伎連博徳:中国系渡来氏族で、姓は伊岐、壱伎、名は博得とも。
 斉明朝から天智朝にかけての豪族・外交官。
 斉明5年~斉明7年(661年)にかけて、第四次遣唐使に随行した。

新羅沙門行心(幸甚):「天文・卜筮」に長け、「骨法」をよくしたと いう。
 大津皇子の変に連座し、飛田の寺院に流された。
 子の僧隆観は大宝2(702)年に赦免され、入京(藤原京)している。
 行心はおそらく飛田の地で没したと思われる。

礪杵道作:大津皇子の帳内で、美濃の礪杵(土岐)郡の豪族出身と思われる。
 大津皇子の変に連座し、伊豆(下田市大字箕作)に流された。
 道作は伊豆の国へ流罪を受けた最初の人だという。
 赦免を得られずこの地に没したという。

磐余:香具山を含む、飛鳥時代以前の古代宮都の
 天降りつく天の香具山は、大和の国魂の宿る聖地である。
 太陽が昇る東の三輪山、夕日が沈む西の二上山も神の宿る聖地であるが、
 神話・伝説の上では香具山に及ばない。



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愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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