インパール作戦~フィリピン特攻

S19(1944)年
インパール作戦:3月~
インパール:ビルマの国境線の向こう山を越えた所にあるインドの主要都市;
作戦目的:不利になりゆく戦勢で不人気になりつつある東条内閣への全国民の信頼を再燃;
作戦推進人牟田口廉也:第15軍司令官,東条英機の子分;
第15軍
司令官:牟田口廉也(好きなもの:①勲章,②メーマ,③新聞ジャーナリスト);
第33師団:司令官:柳田元三
水戸第213連隊,宇都宮第214連隊,高崎第215連隊;終戦時:タイ・ナコンアヨーク;
第15師団:司令官:山内正文
京都第51連隊,京都第60連隊,敦賀第67連隊;終戦時:タイ・カンチャナブリ;
第31師団:司令官:佐藤幸徳 → 河田槌太郎
東京第58連隊,佐倉第138連隊,甲府第124連隊;終戦時:ビルマ・タトン
(越後高田第58連隊,関西第138連隊,博多第124連隊)

牟田口廉也:(河辺正三・当時 ビルマ方面軍司令官に)【支那事変を起こした責任が
  あります,この作戦を成功させ国家に対して申し訳が立つようにせねばなりません】;
✤4月末:
①戦力が40%前後に低下し,これ以上攻撃できない,撤退した方がいい状態になった;
②ビルマは5月を過ぎると雨季で撤退しづらい;
③牟田口はなお攻撃を主張し尻を叩き続けた;
✤5/20日:参謀本部もさすがに作戦は失敗と判断し,ビルマ方面軍に旨を伝えた;
✤6/4日:
牟田口:【戦も今が峠であり,これ以上心配はかけない,必ずインパールを落してみせる】;
河辺正三:【華華しさを求めずに地味な作戦で行くように】と激励;
✤6/5日:
牟田口:【部下の師団長をクビにする】(既に二人の師団長をクビにしていた);
河辺正三:【そういうことでは作戦がうまくいかないのではないか?】と牟田口を睨みつけた;
牟田口も負けず睨み返し会談はそのまま無言で終了;
✤結果的にイギリスとインドの連合軍に大惨敗した;

マリアナ諸島の死守戦:6/9日~
4/28日・陸海軍合同会議:服部卓四郎(作戦課長):【マリアナ諸島は絶対に落ちない】;
5/19日・大本営政府連絡会議:東条英機(首相):【サイパンの防衛はもはや安泰である】;
第31軍:司令部:トラック島 司令官:小畑英良麦倉俊三郎
第29師団:中国・満州で編成された部隊,S19・2:満州・遼陽からグアム島に来た;
海城第18連隊(元647部隊),遼陽第30連隊(元574部隊),遼陽第50連隊(元318部隊)
終戦時:グアムで玉砕
第43師団:司令官:斉藤義次
第135連隊:福知山,京都,名古屋の平時部隊の現役兵を基幹とす;
第136連隊:岐阜;
第118連隊:静岡;
終戦時:7/7 サイパンで玉砕;
第52師団:富山第69連隊,金沢第107連隊,松本第150連隊;終戦時:トラック島;
独立混成第47旅団:満州第1派遣隊;満州の精鋭師団の現役兵から抽出;
終戦時:7/7 サイパンで玉砕;
独立混成第48旅団
終戦時:7/7 サイパンで玉砕;
独立混成第50旅団:終戦時:メレヨン
独立混成第51旅団:終戦時:トラック
独立混成第52旅団:終戦時:ポナペ
✤6/15日:米軍サイパン島上陸を開始し,たちまちに占領;

マリアナ沖海戦
:(6/15~6/20)
米軍側:空母:15隻; 航空機:950機の機動艦隊;
日本側:再建中の第3艦隊(機動部隊),指揮官:南雲忠一 小沢治三郎
ようやくの思いで完成させた正規空母:大鳳,翔鶴,瑞鶴など9隻;飛行機約450機;
結果:日本は350機も発進しながら,米・空母に擦り傷さえ与えることができなかった;
✤130機:コースから外れてアメリカ空母艦隊を発見できなかった(未熟さ);
✤約200機は途中で米の戦闘機隊に待ち伏せされ大半が撃ち落された;
✤それをくぐって飛び続けた飛行機は米の空母部隊の100km手前で戦艦部隊に遭遇,
  大半が艦砲射撃で撃ち落された;
✤VT信管付き五インチ対空砲:15m以内に命中すれば爆発する秘密兵器開発;
✤それでも何機かがアメリカ空母の上空に達したが爆弾2発を至近距離に投下したのが
  最大の戦果;
✤潜水艦の雷撃を受け【大鳳】,【翔鶴】が沈没,艦載機攻撃を受け【飛鷹】が沈没;
✤日本の飛行機はわずか50機が残った;
南雲忠一ら三人が責任を問われて切腹ヲ命じられる;
✤アメリカ側はこの海戦を【マリアナ七面鳥撃ち】と命名;

6/25日:元帥会議
①陸海軍両総長の説明を聞き論議を交わしたもののもはやタメだと結論;
伏見宮の発言を受けて陸海軍は【特攻作戦】を現実的に計画し始める;
7/7日:サイパンの日本守備隊が玉砕;サイパン勝利はまったくないことが決定;
7/9日:米軍がサイパン島占領を宣言;
7/18日:東条英機内閣総辞職;次に小磯国昭内閣成立す;

8/1日:海軍大臣米内光政が決裁し回天(人間魚雷)が正式に兵器として採用される;
黒木博司中尉,仁科関夫少尉;
呉のP基地:広島県呉市倉橋島大浦にあった甲標的の基地;
9/1日:第一特別基地隊として山口県徳山市大津島の回天基地が発足;
✤【松政】:出撃壮行会をやる料亭,徳山市糀町(コウジマチ);
倉重朝子:回天の母・お重さん;
①回天で出撃して戦死者─86人;
②訓練中の殉職者─15人、自決者─2人;
③回天を運んだ潜水艦の中で敵艦隊に近づきすぎて攻撃され沈没した潜水艦─8艘,
  乗り組み員─845人(千人以上ともいう);
✤【いつの出撃でも一本や二本オメオメと帰ってくる,鉢巻を締め,日本刀をかざして
  全員に送られて,得意になって出て行くだけが能じゃない,出て行く以上,戦果を挙げ
  なけりゃなにもならん。スクリューが回らなかったら,手で回して突っ込め!

✤他の特攻兵器:海軍:震洋─グリンピース; 陸軍:マルレ

10/17日:レィテ作戦
連合艦隊(第3艦隊)は囮艦隊として参加し全空母を失いながらも米軍機動部隊の誘引に
成功;しかし第2艦隊(第1遊撃隊,戦艦大和;武蔵を含む39隻,栗田健男)はレィテ島突入
を断念した;レィテ沖海戦後連合艦隊は事実上壊滅し第3艦隊は廃止された;
10/19日:フィリピンのルソン島クラーク基地の第1航空艦隊で神風特別攻撃隊が誕生;
10/20日:米軍がフィリピン上陸開始:
第14方面軍:司令官: 山下奉文(ヤマシタトモユキ);
第35軍
∴第16師団(京都):主力はレィテ島,一部はサマール島;
  京都第9連隊,福知山第20連隊,津 第33連隊;
∴第30師団(平壌):ミンダナオ島;
∴第100師団(名古屋):ミンダナオ島;
∴独立混成第54旅団(仙台):ミンダナオ島;
∴熊本第102師団:ビサヤ諸島;
直轄兵団
∴第1師団(東京):上海より輸送中,のちレィテ島;
  東京第1連隊,甲府第49連隊,佐倉第57連隊;
∴第8師団(弘前):満州・綏陽からルソン島;
∴第26師団(名古屋):ルソン島,のちレィテ島;
  名古屋第11連隊,岐阜第12連隊(今堀支隊),静岡第13連隊;
∴第103師団(熊本):ルソン島;
∴第105師団(広島):ルソン島;
∴戦車第2師団:満州・勃利からルソン島;
∴独立混成第55旅団(弘前):主力はホロ島,一部はセブ島;
∴独立混成第58旅団(弘前):ルソン島のちレィテ島;
  弘前第47師団から6個大隊を抽出して結成された部隊;
∴独立混成第61旅団(京都):パタン島,バブヤン島;
∴独立混成第68旅団:台湾からレィテ島;
  満州の公主嶺の教導学校(S16・6創立)で養成された特殊部隊;
  全国より選抜した成績優秀な兵より成り,主として遊撃専門に訓練した;

関東軍の転用
S19・2月
第14師団(宇都宮):チチハル→パラオ諸島
第27師団(佐倉):錦州→中国北部
第29師団(満州):遼陽→グアム島
S19・6月
第9師団(金沢):牡丹江→台 湾
第28師団(満州):ハルピン→宮古島
第68旅団(満州):公主嶺→レィテ島
S19・7月
第1師団(東京):孫呉→レィテ島
第10師団(姫路):佳木斯→ルソン島
第4飛行師団:佳木斯→ルソン島
戦車第2師団:勃利→ルソン島
第8師団(弘前):綏陽→ルソン島
S19・10月
第23師団(熊本):ハイラル→ルソン島
S19・12月
第12師団(久留米):東寧→台 湾
S20・3月
第57師団(満州):山神府(孫呉のやや北方)→本土福岡
第11師団(善通寺):虎林→本土高知
第24師団(満州):東安→沖 縄
第25師団(満州):林口→本土宮崎
第71師団:琿春→台 湾
第111師団:穆稜→済州島

フィリピン特攻神風特別攻撃隊
✤S19/10/19日:フィリピンのルソン島クラーク基地の第1航空艦隊で誕生;
✤第1航空艦隊:真珠湾奇襲を実施した部隊;特攻が始まる頃は空母はもちろん軍艦も
  持たず陸上基地の航空隊だけで編成されていた;
✤S19・10中旬:大西が赴任する直前になると40機にもみたぬ30機そこそこの飛行機で
  まともな航空作戦は出来ない状態たった;
司令官:大西滝治郎(参謀長:小田原俊彦);
✤もともと戦闘機パイロット;
✤日中戦争の頃は漢口を基地として重慶への長期にわたる無差別爆撃を指揮;
✤太平洋戦争が始まる一年近く前から第11航空艦隊の参謀長;
✤山本連合艦隊司令長官がハワイ真珠湾奇襲作戦を着想して,その具体化を最初に
  相談したのが大西滝治郎;
✤第1航空艦隊司令長官としてマニラに赴任する前に大本営海軍部の航空参謀・源田実
  大佐らとの間に特攻を行うことについて十分な打ち合わせが行われたようだ;
✤10/13日,軍令部作戦課(第一課)の航空作戦計画担当の源田実中佐は一通の電文を
   起案;【神風隊攻撃ノ発表ハ全軍ノ志気ノ高揚並ニ国民戦意ノ振作ニ至大ノ関係アル処
  各隊攻撃実施ノ都度純忠ノ至誠ニ報ヒ攻撃隊名ヲモ併セ適当ノ時期ニ発表ノコト取計ヒ
   度《略》】261917番; この電文は、特攻出撃第一陣の出発までに大西の手許に届かな
  かったが,大西はすでに源田との打ち合わせを済ませている。
源田 実
✤山本長官から作戦の相談を受けた大西は具体的な作戦案作りを源田実に依頼;
✤第一航空艦隊の参謀となり,真珠湾奇襲は源田の作戦案に従って実行;
✤ミットウェー海戦に完敗するまで,空母部隊を事実的に取り仕切た;

第201海軍航空隊:(敷島隊を出撃させた航空隊);
司令官:山本 栄
飛行長:中島 正:のち神雷部隊(桜花部隊,第721海軍航空隊)の作戦主任;
飛行副長:玉井浅一:のち台湾第205海軍航空隊の司令官に昇進する;

神風特攻隊:指揮官:関 行男(大尉,23歳);
✤敷島隊:5機; 10/25飛び立ち;
✤大和隊:6機:
✤朝日隊:2機;
✤山桜隊:2機;
✤菊水隊:2機;
 セント・ロー攻撃3時間前に出撃し護衛空母サンティ;護衛空母スワニーに体当たりした;

関 行男
✤1941年11月に海軍兵学校70期卒業,1ヶ月後に太平洋戦争が開始;
✤1944年の春,結婚したばかり;

敷島隊
✤ルソン島マバラカット基地から10/25午前7時25分,直援機4機と共に5機出撃した;
✤戦艦大和のレィテ湾突入を援護するため,爆装0戦で敵空母に体当たりし,相手の
  航空兵力を一時的ても封じ込めるのが任務;
✤午前10:40分敵空母群発見;
①護衛空母セント・ロー:沈没;
②護衛空母カリーニン・ベイ:損傷,飛行甲板に激突したが爆弾は爆発しなかった;
 (関 行男機はセント・ローが攻撃されるより前に体当たりした)
③護衛空母キトカン・ペイ:(カンビに)一機命中;

当時フィリピンの陸軍航空部隊:第4航空軍:
✤飛行機を200機も持っていなかったが人員はおそらく8万人規模を保っていた;
✤司令官:富永恭次(キョウジ):
  直接の部下10万人以上を置き去りにして自分だけより安全な台湾へ移動した;
   陸軍中央は富永を予備役に編入した;

第2航空艦隊
司令官:福留 繁(大西と海軍兵学校同期);
✤基地航空隊だけで編成,フィリピンに進出した時は300機近い飛行機をもっていた;
✤600機近い飛行機があったが10/12~10/16の台湾沖航空戦で大幅に戦力ダウン;
✤10/24日,10/25日 通常爆撃を行った;
✤10/24日:フィリピン・シプセン海:
 米軍側:軽空母プリンストンの炎上(通常爆撃から受けた唯一の損害);
 日本側:190機と搭乗人を一瞬にして失った;
 戦艦武蔵が沈没し,水上部隊も大きな打撃をうけ撤退した;
✤S20・1/9日,フィリピン特攻が終わった後,戦力が底をついて解体となり,残部の航空
 兵力は大西の第一航空艦隊に吸収された;
✤福留は第一南遣艦隊司令長官となってシンガポールに赴任;

陸軍特攻隊:海軍航空隊に約一ヶ月遅れて体当たりを始めた;
内地で編成してフィリピンの戦場に送り込んだ;
万朶隊:10/21日,茨城県、鉾田教導飛行師団で編成;
 11/12;第1陣:99式双発軽爆撃機4機と直援する一式戦闘機11機で編成;
富嶽隊:10/24:静岡県,浜松教導飛行師団で編成;11/13;第2陣:
八紘隊:三重県,明野教導飛行師団で編成;
一宇隊:茨城県、常陸教導飛行師団で編成;
靖国隊:第51教育飛行師団で編成;
護国隊:第10飛行師団(関東地区の防空師団)で編成;
石腸隊:千葉県,下志津教導飛行団で編成;

第1航空艦隊
✤フィリピン特攻が終わった後,司令部とパイロットだけが台湾に後退していた;
✤S20・1/9日,アメリカ軍がルソン島リンガエン湾に上陸した直後まで,ほとんど連日
 出撃,例外的に1/25日,住野秀信中尉の零戦一機がリンガエン湾のアメリカ艦船郡
 に突入した;
✤整備要員や飛行場関係の部隊はフィリピンで地上戦を戦い大半が戦死;
✤S20・3月初旬で85機程度だった;
✤S20 5/10志摩清英新司令官着任,6/5解隊;

神雷部隊:721海軍航空隊─3・5tのロケット爆弾
✤S19・12/17日,佐世保からフィリピンに向かって空母【雲龍/ウンリュウ】に桜花,爆弾,
 車両,兵員(約1500人)を満載して出発したが、沖縄の宮古島北北西約426Kmで
 アメリカの潜水艦に雷撃され沈没した;
✤S20・3/21日11:20に海軍の第五航空艦隊は鹿屋基地から神雷部隊を出撃させた;
 発進3時間後の午後2:20頃,アメリカ機動部隊の約90Km手前でアメリカの艦載機に
 迎撃され,一機残らず撃ち落された;
 戦死者:桜花隊─15人,陸攻隊─135人,零戦パイロット─10人,計160人;
✤S20・4/12日,沖縄特攻・菊水2号作戦で第3神雷部隊は桜花を吊り下げた一式陸攻
 8機と供に出撃;土肥三郎中尉が乗った桜花が米の駆逐艦【マンナート・L・エーブル】に
 体当たりし撃沈させた;
✤はっきりと【桜花による撃沈】と確認されるのは,普通この日の1艦のみとされるが,
 桜花部隊の戦友会編纂の【海軍神雷部隊】によると【沈没3隻、損傷6隻】とある;

S19年11月末:【勤労動員】始まる;


日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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