盧溝橋事変~上海作戦

盧溝橋事变:S12(1937)年7月7日;
天津駐屯の第1旅団第1連隊第3大隊
✤旅団長:河辺正三
✤連隊長:牟田口廉也
✤大隊長:一木清直イチキキヨナオ

盧溝橋事件後の政府と軍
総理大臣:近衛文麿
陸軍大臣:杉山 元 →S13(1938)年5/26から板垣征四郎
陸軍次官:梅津美次郎 →東条英機
海軍大臣:米内光政
外務大臣:広田弘毅 →S13(1938)年5/26から宇垣一成 →9/30から近衛文麿兼任;
参謀総長:閑院宮
参謀次官:多田 駿
軍令部総長:伏見宮

陸軍省,軍務局,軍務課長:柴山 兼四郎
陸軍省,軍務局,軍事課長:田中 新一

参謀本部
第1部長:石原莞爾→S12(1937)年9/28下村 定→S13(1938)年1/11橋本 群/グン】;
第1部第2課長:河辺 虎四郎
第1部第3課長:武藤 章

関東軍
司令官:植田謙吉
参謀長:東条英機
参謀副長:今村 均(ヒトシ/のちラバウル第8方面軍;)

支那駐屯軍
司令官:香月清司(カツキ キヨシ)
参謀長:橋本 群

朝鮮軍
司令官:小磯国昭

中国共産党軍:S12(1937)年8/22;
✤八路軍:(北支4.5万人),第2戦区の指揮下に入る;
 総指揮:朱 徳
 副総指揮:彭懐
 政治委員:朱恩来
✤新四軍:(1万余人)揚子江以南,第3戦区の指揮下に入る;
 軍 長:叶 挺
 副军长:项 英

北支戦場の拡大
盧溝橋事変後,蒋介石が中央軍4個師団を河北省の石家荘付近に北上させる命令を
出したとの情報があった;
✤石原莞爾:【戦闘完了次第即時撤退】の条件付きで派兵を承認した;
∴関東軍から2ヶ旅団;
∴朝鮮軍から第20師団;
∴作戦区域:【河北省保定~独流鎮〈天津南26km〉】の線の以北;
∴結果北平,天津地区掃討戦は同年7月末に完了,引き続き河北省の平定作戦が開始;
✤7/27日:内地から広島第5師団,熊本第6師団,姫路第10師団の増派令が下りた;
✤8/9日:満州国熱河省両側の内モンゴルのチャハル進攻作戦の実施を命じた;
 石原莞爾は反対したが武藤 章東条英機は強硬に実施を主張した;
 結果:戦火はチャハルから西の綏遠,山西省にまで拡大した;
第20師団:朝鮮の평양,룡산,などに駐屯する歩兵連隊で,関西,九州の各県から
  徴集された,第78連隊,第79連隊,第80連隊,終戦時:東部ニューギニア;
第5師団:広島,山口,浜田─終戦時:セラム島・ピル;
第10師団:姫路,岡山,鳥取,松江─終戦時:ルソン島・ビナパガン;
✤8/31日:支那駐屯軍を改組して北支那方面軍司令部を新設,その下に第1軍,第2軍の
  二個軍司令部を新設して8ヶ師団を指揮する;
北支那方面軍:(8ヶ師団、飛行機約150機)
司令官:寺内寿一(のち南方軍総司令官)
参謀長:岡部直三郎
方面軍直轄
広島第5師団:(板垣征四郎);
金沢第109師団:(山岡重厚);
支那駐屯軍混成旅団:(山下奉文/トモユキ S19・10 マニラ第14方面軍司令官に);
臨時航空兵団:(徳川好敏);
第1軍:平漢沿線(北平~漢口);
司令官:香月清司
参謀長:橋本 群
熊本第6師団:(谷 寿夫);
宇都宮第14師団:(土肥原賢二);
朝鮮第20師団:(川岸文三郎);
其の他
第2軍:津浦沿線(天津~南京);
司令官:西尾寿造
参謀長:鈴木率道
姫路第10師団:(磯谷廉介 S16・12・28に香港総督に任命);
京都第16師団:(中島今朝吾);
弘前第108師団:(下元熊弥);
其の他
✤S12・10・20:第1軍の第6師団と国崎支隊が上海へ転戦命令を受ける;
✤S12・10・30:第2軍の第16師団が上海へ転戦命令を受ける;
第16師団:京都第9連隊,福知山第20連隊,津 第33連隊;終戦時:レティ島(守備隊);

第2次上海事変:S12(1937)年8/9(盧溝橋事変から34日目);
✤S12・7・28:外務省は揚子江上流の日本居留民2万9230人に引き揚げを勧告した;
✤S12・8上旬:日本海軍の艦艇で上海へ運んだ(現地保護の方針であった);
✤S12・8・7:米内光政海相は杉山 元陸相に【陸軍派遣を閣議で決定するよう】に申し
  入れたが杉山は戦局が中支に拡大するのを恐れて閣議に上程しなかった;
✤S12・8・9:上海の日本海軍特別陸戦隊西部派遣隊長の大山勇夫中尉と斉藤与蔵一等
  水兵運転の海軍乗用車が上海西方8kmの虹橋飛行場付近の路上を走行中に保安隊
  と称する中国軍に射殺された;
✤S12・8・14:上海派遣の名古屋第3師団;善通寺第11師団;北支派遣の宇都宮第14師
  団に動員令が降りた;
第3師団:名古屋第6連隊;岐阜第68連隊;静岡34連隊;終戦時:中国江蘇省鎮江市;
✤S12・8・15:日本帝国政府声明を発表:【暴支膺懲、南京政府の反省を促す】;
✤S12・8・15:(同日)上海派遣軍司令部が新設:
司令官:松井石根
参謀長:飯沼 守
名古屋第3師団:(藤田 進);
善通寺第11師団:(山室宗武);

上海作戦:S12(1937)年8/23~11/9日;
✤8/23:第11師団:川沙鎮付近に上陸;第3師団:呉淞鉄道桟橋付近に強行上陸;
✤8/31:苦戦で全滅の危機に堕ちって松井石根司令官三個師団の増援を要求;
✤9/6:伏見宮軍令部総長が天皇に陸軍増派の意見を具申,閑院宮参謀総長も同意;
✤9/7:北支方面軍から後備歩兵10ヶ大隊,砲,工部隊;
✤9/9:台湾守備隊から重藤支隊:(重藤千秋,台湾軍5ヶ大隊);
金沢第9師団:(吉住良輔);
仙台第13師団:仙台;会津若松;新潟新発田─終戦時:中国湖南省長沙市;
久留米第18師団終戦時:ビルマ・チャイト;
  久留米第56連隊;長崎県大村第55連隊;福岡第114連隊;
野戦重砲兵第5旅団
野戦重砲兵第15旅団
東京101師団:東京,甲府,佐倉─S12・9・1に編成;
  S14・11・7 復員;翌年S15・2・25廃止;
台湾の第3飛行団
✤10・12:下村 定新作戦部長が今後の作戦方針を決定:
 主戦場は北支から上海方面に転換,北支からかなりの兵力が上海線に転用される;
✤10・20:新たに第10軍を編成─杭州湾上陸─任務:上海付近の日本居留民の保護;
司令官:柳川平助
参謀長:田辺盛武
熊   本第6師団:(谷 寿夫);
久留米第18師団:(牛島貞雄);
宇都宮第114師団:宇都宮,水戸,高崎,松本;終戦時:中国山西省臨汾市;
✤10・30:北支那第2軍から京都16師団と重藤支隊を上海派遣軍に入れる;
✤11・7:中支那方面軍司令部が新設される;
司令官:松井石根
参謀長:塚田 攻
上海派遣軍:(松井石根 大将が兼任);
第10軍:(柳川平助);
✤S12・11・19:第2次上海事変一段落した;【常熱~蘇州~嘉興】;
✤S12・11・20:大本営が設置され,日本は戦時国家になる;

南京作戦:S12(1937)年11/19~12/13日;
✤11・19:第10軍司令官柳川平助が独断で南京進撃を命令する;
✤11・20:下村 定作戦部長が中支那方面軍参謀長あてに多田 駿参謀次長の制令線
  からの後退命令を打電した;
✤11・22:【事変早期解決のため,敵の退勢に乗じて南京を攻略する必要あり,方面軍は
  現有兵力で2か月以内に目的達成できる見込み】と中央の方針無視;
✤11/24日:湖州占領(第10軍:第6・18・114師団);
✤11/25日:無錫占領(第9師団,第11師団);
✤12/1日:大陸令(大本営陸軍部命令)8号:
  【中支方面軍は海軍と協同して敵国首都南京を攻略すべし】;
✤12/9日:降伏勧告,回答期限12/10日正午まで;
✤12/10日:南京城攻撃命令;
✤12/13日:南京城陥落;
✤12/24日:杭州無血占領,第10軍司令部が置かれる;

国民党
✤大本営の幕僚会議:
何应钦:無言;
白崇禧:放棄南京城;(陳誠と共に上海防衛戦に敗れた);
唐生智:元・軍事委員会執行部主任:死守南京城─南京防衛軍総指揮官;48歳;
✤12/11日:午後,顾祝同が電話で蒋介石の撤退命令を伝える;
✤12/12日:夕方,唐生智総撤退を命令する;
唐生智
✤漢口で蒋介石に敗戦を報告,処分無し;
✤父の病気を理由に湖南省東安に帰郷;
✤新中国成立後湖南省副省長,全人代表となり,1970年81歳で没;

平型関の戦闘:S12(1937)年9/25;
✤平型関:山西省北部の関門:(原平~霊丘);
✤中国側:八路軍(のち第18集団軍)の第105師団(師団長:林彪 30歳);
✤日本側:広島第5師団(板垣征四郎)第21旅団の第6兵站自動車隊;
              浜田歩兵第21連隊の輸送隊;
台児荘の戦役:S13(1938)年3/27;
✤台児荘:山東省の最南端にある煉瓦の城壁をめぐらした古い城市;
✤中国側:孫連仲の中央軍3ヶ師団;
✤日本側:広島第5師団(板垣征四郎)の第21旅団(坂本 順);
       姫路第10師団(磯谷廉介)の第33旅団(瀬谷 啓);
✤台児荘攻略の両支隊がそれぞれ別個の師団長に指揮されたことによる通信連絡上の
  不備があり,上級の軍(第2軍)司令部の作戦ミスである;
✤台児荘の激戦は徐州会戦の前哨戦であり;徐州会戦は武漢攻略の序幕であった;

汪精卫(汪兆铭):
✤S15(1940)・3・30:南京政府発足;
✤S18(1943)・12:南京の日本陸軍病院で子弾摘出手術を受ける;
✤S19(1944)・3・3:名古屋帝大医学部付属病院に入院;
✤S19(1944)・11・10:多発生骨髄腫により死去;
陳公博:汪兆铭の後任?
✤日本降伏後,蒋介石によって漢奸として死刑になった;


日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
Fcカウンター
QRコード
QR