日清戦争~西安事変

日清戦争:明治27(1894)年~明治28(1895)年;
下関条約
✤朝鮮の清からの独立;
✤台湾の割譲;
✤遼東半島の割譲;

義和団事件:明治32(1899)年~明治34(1901)年;
✤ロシア:満州を不法占領し、旅順、大連に東亜侵略の大拠点を作った;
✤ドイツ:青島(膠州湾);
✤英 国:威海衛(山東半島東北端の威海市;清朝北洋水師の基地),九龍(香港);
✤美 国:広州湾;
✤フランス:広州湾;

日露戦争:明治37(1904)年~明治38(1905)年;
✤旅順,大連を含む関東州の租借権所有(ロシアが満州にもっていた権利を全部肩代わり);

第一世界大戦:大正元年(1912)~大正3(1914)年;
✤ドイツ & イギリス,フランス,ロシア;
✤日・英同盟としてドイツに宣戦;
✤戦後:日本は青島の占領とマーシャル諸島など南洋諸島の委任統治を得た;
✤中華民国政府(袁世凱大統領)は膠州の返還と日本軍の撤退を要求して来た;
✤日本政府は外相の加藤高明が大正4(1915)年1/18日,中国側に21ヶ条要求を提出;
✤中国側は5/7日に最後の通牒を受け,5/9日に受諾(中国側:5/7,5/9を国恥記念日);

パリ講和会議:大正8(1919)年,1月;
✤中国側:膠州湾は中国側が無条件で連合国から返還を受ける権利がある;
✤日本側:①中国は日本と交渉して膠州湾の還付を受けるのが筋だ;
       ②山東省の旧ドイツ権益の譲渡;
              ③ドイツ領南洋群島の割譲;
✤結果:中国の主張は敗れて,山東問題は日中両国で処理すべきであると議決された;

五四運動:大正8(1919)年,5月4日;
北京の学生が中心となって日本に対する猛烈な抗議運動を行い,それを日本が弾圧する
事態にもなった;
北京大学
✤校 長:蔡元培
✤文科科长:陈独秀─大正10(1921)年,李大钊と共に中国共産党を組織する;
✤教 授:李大钊(兼任大学図書館長),周作人胡 適・・・

張作霖爆殺事件:S3(1928)年6月4日;昭和の大動乱の始まる基となった;
首謀者:関東軍参謀の河本大作
✤S4(1930)年,7月2日,田中義一内閣総辞職;
✤天皇が政治に口を出して内閣総理大臣をやめさせてしまった;
✤田中義一はその後すぐ亡くなってしまった;
  ①この時のショックが心臓に響いたか?;
   ②自決説もある;
✤この事件後,天皇は【君臨すれども統治せず】となった;

北伐完成:S3(1928)年,6月9日,張作霖爆殺事件の5日後,南軍が北京入城;
国民政府軍孫文の広東軍と蒋介石の江西軍;
総司令官:蒋介石
✤1908年東京振武学校に入学,1910年高田野砲13連隊に士官候補生として入隊;
参謀総長:何応钦
✤1908年東京振武学校に入学,1916年日本の陸軍士官学校27期歩兵科卒業;
第1集団軍蒋介石─18ヶ軍の19万人;
✤第2集団軍:冯玉祥─25ヶ軍の31万人;
✤第3集団軍:阎锡山─11ヶ軍の15万人;
✤第4集団軍:李宗仁─16ヶ軍の20万人;

満州事変:S6(1931)年9月18日午後10時20分;
✤総理大臣:若槻礼次郎:もう(朝鮮から援軍が)出てしまったのは仕方がない】;
                                    昭和の歴史の方向を最初に間違えさせた;
✤陸軍大臣:南 次郎
✤外務大臣:幣原喜重郎
✤参謀総長:金谷範三
✤軍事課長:岡村寧次
✤作戦課長:今村 均(ラバウル)
✤作戦部長:建川美次
関東軍
✤司令部:旅順;
✤司令官:本庄 繁:事変後,司令官から侍従武官として天皇の側近となり,男爵となる;
✤参謀長:三宅光治
✤高級参謀:板垣征四郎
✤作戦参謀:石原莞爾:事変後,連隊長としていったん外に出ますが,間もなく参謀本部
        作戦部長となる;
朝鮮軍
✤司令官:林銑十郎
✤作戦参謀:神田正種
経過
✤S6年11/18:占領 斉斉哈爾;
✤S7年1/3:占領 錦州;
✤S7年3/1:満州国独立を宣言;
✤S7年3/9:満州国成立;
✤S7年9/15:日本満州国を独立国家として承認(日本だけが認める);

第1次上海事変:S7(1932)年1/18~5/5;
S7年1/18,日蓮宗の日本僧侶5人が恒例の寒行に出たが,2人死亡,3人が重傷を負う
殺人事件が起きた,これは日本軍の謀略で田中隆吉川島芳子が組んでしかけた。
✤上海警備
 中国側:第19路軍(広東派の地方軍),司令官:蔡廷楷
 日本側:第1遣外艦隊:揚子江筋と台湾の警備; 第2遣外艦隊:南支以南の警備;
  第1遣外艦隊と第2遣外艦隊を合わせて第3艦隊を編成し,司令官に野村吉三郎
✤S7年2/22日:日本からの派遣部隊:
第24旅団:第12師団(久留米)からの混成;旅団長:下元熊弥;
第9師団(金沢):金沢連隊,敦賀連隊,富山連隊─終戦時:台湾
       師団長:植田謙吉
✤S7年2/23日:上海派遣軍を編成;司令官:白川義則(元・田中義一内閣の陸軍大臣);
第11師団(善通寺):水際戦闘を得意とする四国の軍隊,終戦時:四国高知
        高知第44連隊; 丸亀第12連隊; 徳山
第14師団(宇都宮):宇都宮第59連隊;水戸第2連隊;高崎第15連隊─終戦時:パラオ
✤天長節【昭和天皇の誕生日】の爆弾テロ:S7(1932)年4/29;
   明治節:現・文化の日(S13・11/3)
 上海虹口公園の第1次上海事件の停戦協定調印式で朝鮮独立運動団体所属の尹奉吉
 による爆弾テロ事件;
 白川義則:全身重傷を受け,5/26日に死去;
 野村吉三郎:右眼を失明;
 植田謙吉:左足の指を全部吹き飛ばされる;
 重光 葵(当時の上海公使):右腿切断;(のちに外務大臣となる);
 村井倉松(当時の上海総領事):右下腿部重傷;
✤S7年5/5:病院持ち回りで停戦協定に調印;
 第1上海事変は終わり,同月中に日本軍は撤退;主力は満州に転用される;

五・一五テロ事変:S7(1932)年5/15日
陸海軍青年将校による犬養毅首相の射殺;
✤事変後海軍大将斉藤実が次の総理大臣になり,政党内閣は根を止められた;
✤軍人の暴力が政治や言論の上に君臨し始め,恐怖時代の始まり;

四十二対一の決議:S8(1933)年2/24日;
S8(1933)年2/20日:国際連盟は日本軍の満州からの撤退勧告案を総会で採択し,
2/24日に(42:1)で採決された;
✤日本の全権大使松岡洋右は国連脱退を宣言;
✤日本は軍部が支配する国となり,国民的熱狂に押されながら戦争への道を突き進む;

塘沽停戦協定:S8(1933)年5/31日(塘沽:現・天津市塘沽区):
中国側:蒋介石は中央軍数十個師を繰り込んで,熱河攻撃を開始した;
日本側:関東軍は第6師団(熊本),第8師団(弘前)の両師団と混成一個旅団の兵力では
【古北口~山海関】約400kmの長城線を守りきれなくなったため関内の河北省に進攻し,
5/7日に北平東郊の通州を占領した;
✤5月31日:関東軍・参謀副長岡村寧次と中国代表熊斌が塘沽協定に調印し,中国側は
  事実上満州国の存在を認めた;
第6師団終戦時:ブーゲンビル島
  熊本第13連隊,鹿児島第45連隊,都城第23連隊,大分第47連隊(沖縄を含む);
第8師団終戦時:ルソン島・モンタルバン
  弘前連隊,青森連隊,秋田連隊,山形連隊;

梅津・何应钦の協定:S10(1935)年5/29日;
何应钦:中国国府軍政部長(国防相);
梅津美次郎:支那駐屯軍司令官,S10(1935)年8月に陸軍次官となり後任は田代皖一;
酒井隆:支那駐屯軍参謀長,S16(1941)年11月に南支第23軍司令官兼香港駐屯軍
     司令官,日本の敗戦後,国民政府に逮捕され南京雨花台で死刑になる;
協定内容:中央軍の河北省からの撤退、国民政府各機関の北平引き上げ,排日禁止令
     の公布などの北支の事態の処理;

梅津美次郎次官の大失策
1:支那駐屯軍の改編【S11(1936)年4/7】;
✤支那駐屯軍司令官を親補職にして関東軍司令官と同格にした;
✤5月1日付で田代皖一中将が司令官に任命;
✤兵力を約三倍に増強し1771人から5774人に;
✤部隊は一年交代制から永久駐屯制に;
2:支那駐屯軍の配置
✤天津:軍司令部;歩兵第2連隊;軍直轄部隊;
✤北平・豊台:歩兵旅団司令部(旅団長:河辺正三/カワベマサカズ);歩兵第1連隊主力;
✤塘沽,濼州,山海関,秦皇島に一部歩兵部隊;
✤陸軍次官梅津美次郎の意見により通州をやめて豊台にした;
石原莞爾:当時参謀本部作戦課長;
 【関東軍が北支に手を出すことをやめさせる対策として支那駐屯軍を増強したことが
 返って北支事変の原因となった】

国民党軍
胡宗南:第1戦区指令長官;
阎锡山:第2戦区指令長官;
顾祝同:第3戦区指令長官;
张発奎:第4戦区指令長官;
李宗仁:第5戦区指令長官;桂林は蒋介石のライバルの李宗仁と弟分白崇禧の根拠地
孙連仲:第6戦区指令長官代理;
薜  岳:第9戦区指令長官;

西安事変:S11(1936)年12月12日;
✤張学良:西北扫匪副总司令;
楊虎成:陕西治安维持责任者;
事变意義:抗日民族統一戦線の結成に成功した;


日立市十王町漢方整体院
プロフィール

愛犬・りく君

Author:愛犬・りく君
茨城県日立市十王町で
漢方整体院を経営してます。

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